ソクラテス・プラトン研究日本語文献目録
──1975年〜1995年


浅 野 幸 治 編 

 この文献目録は、1975年から1995年までの間に日本語で発行されたプラトンおよびソクラテス関係の単行本および雑誌論文・記事(プラトンの著作の翻訳、外国語から日本語に訳された文献をも含む)に関する書誌情報を集めたものです。
 それぞれの文献は目次に見られるように分類してあり、大まかな分類上の優先順位は、1「プラトンの翻訳」、2「単行本」、3「個々の著作について」、4「ソクラテス」と「プラトン」の順で、同じ文献が2重に記載されることはありません。
 この目録の作成に当たっては、国立国会図書館編『雑誌記事索引/人文・社会編』、国立国会図書館編『雑誌記事索引/人文・社会編 累積索引版』(1989年まで)、国立国会図書館編『雑誌記事索引 CD-ROM(1994)版』、図書館科学会編『全国短期大学紀要論文索引』(1990年上まで)、『日本件名図書目録』(1994年まで)、『西洋古典学研究』掲載の文献目録などを参考にし、また阪南大学図書館、神戸学院大学図書館、英知大学図書館、神戸大学人文科学系図書室などを利用しました。
 最後に、この文献目録は記載漏れがないよう、情報は正確を期すように努力しましたが、もし万が一文献の記載漏れや情報の誤りがあった場合には編者までお知らせ頂ければ幸いです。



1.プラトンの翻訳(発行年、編訳者、書名順)

北島美雪他訳『プラトン全集第10巻 ピッピアス(大)他』
    岩波書店、1975年
種山恭子他訳『プラトン全集第12巻 ティマイオス、クリティアス』
    岩波書店、1975年
式部久訳『プラトン著作集第3巻 法律(下)』
    勁草書房、1975年
副島民雄他訳『プラトン全集第15巻 正しさについて、定義集他』
    岩波書店、1975年
田中美知太郎他訳『プラトン全集第1巻 ソクラテスの弁明他』
    岩波書店、1975年
田中美知太郎訳『プラトン全集第4巻 パルメニデス、ピレボス』
    岩波書店、1975年
田中美知太郎他訳『プラトン全集第6巻 アルキビアデスI他』
    岩波書店、1975年
長坂公一他訳『プラトン全集第14巻 書簡集、エピノミス』
    岩波書店、1975年
藤沢令夫他訳『プラトン全集第8巻 プロタゴラス、エウテュデモス』
    岩波書店、1975年
山野耕治他訳『プラトン全集第7巻 カルミデス、ラケス他』
    岩波書店、1975年
山本光雄訳『プラトン全集第9巻 法律(上)』
    角川書店、1975年
山本光雄他訳『プラトン全集第10巻 法律(下)他』
    角川書店、1975年
藤沢令夫他訳『プラトン全集第11巻 国家、クレイトポン』
    岩波書店、1976年
藤沢令夫他訳『プラトン全集第3巻 ソピステス、ポリティコス』
    岩波書店、1976年
森進一他訳『プラトン全集第13巻 法律、ミノス』
    岩波書店、1976年
藤沢令夫編『プラトン』
    平凡社、1977年
田中美知太郎編『プラトンI(世界の名著6)』
    中央公論社、1978年
田中美知太郎編『プラトンII(世界の名著7)』
    中央公論社、1978年
藤沢令夫編『プラトン全集別巻総索引』
    岩波書店、1978年
松居正俊訳「クリティアス」
    弘前大『文経論叢』第13巻第3号、1978年3月、13-49ページ
向坂寛他訳『プラトン著作集第4巻 メノン、エウテュプロン他』
    勁草書房、1979年
藤沢令夫訳『国家(上、下)』
    岩波文庫、1979年
三井浩・金松賢諒訳『国家』
    玉川大学出版部、1982年
藤沢令夫『プラトン『パイドロス』註解』
    岩波書店、1984年
藤沢令夫訳『プロタゴラス──ソフィストたち』
    岩波文庫、1988年
水崎博明訳「『ソフィステース』──翻訳と後書き(1)」
    『福岡大学人文論叢』第20巻第3号、1988年12月、1067-1103ページ
水崎博明訳「『ソフィステース』翻訳(2)──後書きとテクスト・クリティーク付き」
    『福岡大学人文論叢』第21巻第2号、1989年10月、841-870ページ
水崎博明訳「『ソフィステース』翻訳(3)──後書きとテクスト・クリティーク付き」
    『福岡大学人文論叢』第21巻第4号、1990年3月、1755-1788ページ
水崎博明訳「『ソフィステース』翻訳(4)──後書きとテクスト・クリティーク付き」
    『福岡大学人文論叢』第22巻第3号、1991年1月、859-901ページ
水崎博明訳「『エウテュプロン』翻訳(1)──後書きとテクスト・クリティーク付き」
    『福岡大学人文論叢』第24巻第2号、1992年10月、541-567ページ
水崎博明訳「『エウテュプロン』翻訳(2)──後書きとテクスト・クリティーク付き」
    『福岡大学人文論叢』第24巻第4号、1993年3月、1547-1568ページ
森進一・池田美恵・加来彰俊訳『法律(上、下)』
    岩波文庫、1993年
藤沢令夫訳『メノン』
    岩波文庫、1994年
水崎博明訳「『パルメニデス』翻訳──後書きとテクスト・クリティーク付き(1)」
    『福岡大学人文論叢』第25巻第4号、1994年3月、2095-2126ページ
中村一彦訳注「プラトン『リュシス』研究──訳と注」
    『釧路公立大学紀要 人文・自然科学研究』第7号、1995年、39-81ページ

2.単行本(著者名、発行年、書名順)

アラン(森進一訳)『プラトンに関する11章』
    筑摩書房、1988年
伊東斌『プラトン快楽論の研究──善の研究序説』
    九州大学出版会、1995年
稲富栄次郎『稲富栄次郎著作集第2巻(ソクラテス/プラトンの教育思想)』
    学苑社、1980年
井上忠・山本巍編訳『ギリシア哲学の最前線I』
    東京大学出版会、1986年
今井直重『プラトンの教育思想の研究』
    三和書房、1978年
岩田靖夫『ソクラテス』
    勁草書房、1995年
A・ヴェドベリ(山川偉也訳)『プラトンの数理哲学』
    法律文化社、1975年
ウェルデニウス(渡辺義治訳)『ミメーシス──プラトンの芸術模倣説とその現代的意味』
    未来社、1984年
岡部勉『行為と価値の哲学』
    九州大学出版会、1995年
小沢克彦『プラトンの愛の哲学』
    高文堂出版社、1989年
角田幸彦『プラトンをめぐって──イデア・ことば・人間・宇宙』
    北樹出版、1995年
E. カッシーラー(友田孝興・栗花落和彦訳)『ゲーテとプラトン』
    文栄堂書店、1991年
加藤信朗『初期プラトン哲学』
    東京大学出版会、1988年
金松賢諒『プラトンの神学と宇宙論』
    法蔵館、1976年
川島清吉『プラトンのアカデメイア──その哲学と教育についての研究』
    公論社、1977年
川田熊太郎『西洋古代哲学I 川田熊太郎論集1』
    公論社、1985年
川田熊太郎『西洋古代哲学 II 川田熊太郎論集2』
    公論社、1985年
北畠知量『ソクラテス研究──ギリシア知の挑戦』
    高文堂出版社、1994年
斉藤忍随『プラトン(人類の知的遺産7)』
    講談社、1982年
斉藤忍随『幾度もソクラテスの名をI』
    みすず書房、1986年
斉藤忍随『幾度もソクラテスの名を II』
    みすず書房、1986年
斉藤忍随・後藤明生『「対話」はいつ、どこででも──プラトン講義』
    朝日出版社、1984年
向坂寛『ロゴスとアレテー』
    理想社、1985年
佐々木毅『プラトンと政治』
    東京大学出版会、1984年
篠崎栄『ことばの中での探求──プラトンを読む』
    勁草書房、1985年
A・シュパイザー(山川偉也訳)『プラトン弁証法の研究──『パルメニデス』註釈』
    法律文化社、1975年
P. M. シュル(花田圭介訳)『プラトン──作品への案内』
    岩波書店、1985年
白石浩一『ソクラテスの生き方』
    社会思想社、1991年
鈴木照雄『ギリシア思想論攷』
    二玄社、1982年
I. F. ストーン(永田康昭訳)『ソクラテス裁判』
    法政大学出版局、1994年
関曠野『プラトンと資本主義』
    北斗出版、1982年
高橋憲雄『自由と権威の相克──道徳・政治哲学の根本問題に対するプラトン的視点からのアプローチ』
    晃洋書房、1992年
田中美知太郎『プラトンI──生涯と著作』
    岩波書店、1979年
田中美知太郎『プラトン II 哲学(1)』
    岩波書店、1981年
田中美知太郎『プラトン III 哲学(2)』
    岩波書店、1982年
田中美知太郎『プラトン IV 政治理論』
    岩波書店、1984年
ディオゲネス・ラエルティオス(加来彰俊訳)『ギリシア哲学者列伝(上)』
    岩波文庫、1984年
戸塚七郎編『プラトン ソクラテスの弁明』
    有斐閣新書、1979年
R. L. ネトゥルシップ(岩本光悦訳)『プラトンの教育論』
    法律文化社、1981年
林竹二『林竹二著作集第1巻(知識による救い──ソクラテス論考)』
    筑摩書房、1986年
広川洋一『プラトンの学園 アカデメイア』
    岩波書店、1980年
広川洋一『ギリシア人の教育──教養とはなにか』
    岩波新書、1990年
M. フィチーノ(左近司祥子訳)『恋の形而上学──フィレンツェの人マルシーリオ・フィチーノによる
    プラトーン『饗宴』注釈』、国文社、1985年
M. フィチーノ(左近司祥子・木村茂訳)『『ピレボス』注解──人間の最高善について』
    国文社、1995年
福島政雄『プラトンの教育思想』
    有明会館図書部、1983年
藤沢令夫『イデアと世界──哲学の基本問題』
    岩波書店、1980年
藤沢令夫『ギリシア哲学と現代──世界観のありかた』
    岩波新書、1980年
K. I. ブドゥリス(山川偉也訳)『正義・愛・政治』
    勁草書房、1991年
R. S. ブラック(内山勝利訳)『プラトン入門』
    岩波文庫、1992年
T. C. ブリックハウス・N. D. スミス(米沢茂・三嶋輝夫訳)『裁かれたソクラテス』
    東海大学出版会、1994年
保坂幸博『仮面をとったソクラテス──哲学者とその妻の不思議』
    廣済堂出版、1990年
保坂幸博『ソクラテスはなぜ裁かれたか』
    講談社現代新書、1993年
K. R. ポパー(内田詔夫・小河原誠訳)『開かれた社会とその論敵 第1部 プラトンの呪文』
    未来社、1980年
I. マードック(川西瑛子訳)『火と太陽──なぜプラトンは芸術家を追放したのか』
    公論社、1980年
I. マードック(菅豊彦・小林信行訳)『善の至高性──プラトニズムの視点から』
    九州大学出版会、1992年
松坂佐一『プラトンと法律──ギリシア法思想への案内』
    名古屋大学出版会、1987年
松永雄二『知と不知──プラトン哲学研究序説』
    東京大学出版会、1993年
G. マルティン(久野昭訳)『ソクラテス』
    理想社、1983年
水崎博明『哲学・その古代的なるもの──プラトンとアリストテレスの若干の著作に関する1つの釈義
    的研究』、九州大学出版会、1994年
三井浩『プラトン哲学研究──母胎・資料・実存』
    玉川大学出版部、1980年
村井実『ソクラテス(上・下)』
    講談社学術文庫、1977年
森俊洋・中畑正志編『プラトン的探究』
    九州大学出版会、1993年
森本哲郎『ソクラテス最後の十三日』
    PHP研究所、1995年 矢島羊吉『ソクラテスの無知』
    矢島羊吉先生遺稿撰刊行会、1988年
山川偉也『人間とイデア』
    法律文化社、1977年
山田順一郎『イデアとはエネルギーのパターンである──プラトン、アリストテレス研究(I)』
    山田順一郎、1980年
山本建郎『新編プラトン『国家論』考──政治理念と形而上学の交錯の1断面』
    影書房、1993年
山本光雄編『プラトン全集別巻』
    角川書店、1977年
山本光雄『愛知と政治──哲学論集』
    山本貞子、1987年
K. ライデマイスター(中村清訳)『ギリシア人の精密思考──ユークリッド・プラトン・アリストテレ
    ス解釈試論』、玉川大学出版部、1982年

3.ソクラテス(主題別、著者名、発行年順)

(a) 論駁、問答法、論理
安齋隆「エレンコスと真理の問題」
    『哲学』第45号、1995年4月、173-182ページ
河井真「ソクラテスとディアレクティケー(1)」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第46号、1979年10月、1-20ページ
河井真「ソクラテスとディアレクティケー(2)」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第47号、1980年3月、1-20ページ
久々津邦男「ソクラテス・反駁(エレンコス)・哲学」
    北海道大『哲学』第20-21号、1985年、75-96ページ
斉藤和也「エレンコスのめざすもの」
    『香川大学一般教育研究』第33号、1988年3月、39-53ページ
塩出彰「ソクラテスのエレンコスに関する若干の考察」
    大阪市立大『人文研究』研究』第39巻第2分冊、1987年、1-17ページ
高野良英「ソクラテスの弁証法の構造について」
    『哲学雑誌』第91巻第763号、1976年、143-155ページ
高橋雅人「ソクラテスの問答の目指すもの」
    『倫理学年報』第40集、1991年、3-18ページ
高橋雅人「言葉と幸福──ソクラテスの問答の1断面」
    東京大『倫理学紀要』紀要』第7輯、1991年、78-96ページ
高見保則「ソクラテス的問答の倫理学的意義について」
    『大阪工業大学紀要 人文社会』第37巻第1号、1992年、31-48ページ
田島孝「論駁(エレンコス)とパラダイム──ソクラテスの論駁」
    東洋大『白山哲学』第25号、1991年、41-74ページ
田中伸司「言論と生との関わり──ソクラテス対カリクレス」
    『哲学』第45号、1995年4月、183-192ページ
田中亨英「ソクラテスの個人的対話について」
    『理想』第632号、1986年1月、39-49ページ
中畑正志「「ソクラテスのエレンコス」への覚え書き」
    九州大『哲学論文集』第30輯、1994年、1-21ページ
八木雄二「ソクラテス主義の論理」
    『多摩芸術学園紀要』第14巻、1988年、51-67ページ

(b) 知、不知、逆説
池田美恵「ソクラテスのパラドックス──アリストテレスによる批判をめぐって」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第7号、1981年、47-65ページ
小沢克彦「自己を知るということ──ソクラテスの途、考究」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第24号、1976年、33-44ページ
小沢克彦「ソクラテスにおける「アレテーの知」の否認──及び補説:アレテーと知にまつわる諸問題
    の整理」、『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第34号、1986年、94-121ページ
金山万里子「ソクラテスのパラドクス(1)──プラトン初期対話篇における」
    大阪医科大『人文研究』第18号、1987年、58-78ページ
鎌田雅年「ソクラテスのアクラシアー批判」
    『古代哲学研究』第22号、1990年、39-49ページ
嘉吉純夫「ソクラテスのパラドックスについて」
    日本大『精神科学』第25号、1986年、207-223ページ
川島公司「ソクラテスの逆説について──不知の知の1解釈」
    日本大『精神科学』第33号、1994年、49-58ページ
栗原史郎「'The Socratic Fallacy' (?)」
    東京都立大『哲学誌』第21号、1978年、45-64ページ
塩出彰「「ソクラテスのパラドクス」に関する若干の考察──「知って悪を行う者は誰もいない」とい
    うことについて」、『九州工業大学研究報告 人文・社会』第26号、1978年、1-9ページ
田島孝「「不知の知」と「不知の不知」をめぐる逆説」
    東洋大『白山哲学』第22号、1988年、84-98ページ
田中龍山「ソクラテスにおける知と無知──パラドックス問題に寄せて」
    関西倫理学会『倫理学研究』第23集、1993年、1-11ページ
山内友三郎「人は知りつつ悪を行うことはないか──ソクラテスのパラドクスについて」
    関西倫理学会『倫理学研究』第8集、1978年、46-56ページ
脇條靖弘「プラトン初期対話篇におけるソクラテスの知の表明」
    『西洋古典学研究』第43号、1995年、42-52ページ

(c) 行為、徳、幸福
今泉智之「ソクラテスにおける「善い」ということの理解──アレテー、エウダイモニア、行為」
    東北大『思索』第28号、1995年、143-160ページ
岩間秀幸「ソクラテスにおける「徳は知である」と「<徳>とは何か?」という問いの関係についての
    1考察 (1)──プラトン初期対話篇を手がかりとして」
    『国学院大学栃木短大紀要』第24号、1990年3月、61-72ページ
岩間秀幸「ソクラテス教説「徳は知である」考──プラトン初期対話篇を手がかりとして」
    『教育哲学研究』第62号、1990年、1-15ページ
小沢克彦「ソクラテスに於ける行為の構造(1)──所謂ダイモンのしるしに就いて」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第25号、1977年、19-38ページ
柏田康史「倫理とソクラテスについての考察(1)」
    『福岡大学人文論叢』第21巻第3号、1989年11月、1281-1295ページ
柏田康史「倫理とソクラテスについての考察(2)」
    『福岡大学総合研究所報』第127号、1990年6月、45-64ページ
加藤幸夫「ソクラテスにおけるpolitike arete──その特性と教育可能性」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第8号、1994年、1-15ページ
篠崎栄「ソクラテスにおける「行為の正しさ」と「神への服従」について」
    『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第17号、1982年、70-56ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、4-35ページ
篠崎栄「ソクラテスのアレテー観念について」
    『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第19号、1984年、66-50ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、36-74ページ
武宮諦「行為と真理」
    九州大『哲学論文集』第25輯、1989年、25-43ページ
田中亨英「ソクラテスの正義とわれわれの幸福」
    『哲学雑誌』第109巻第781号、1994年、1-20ページ
朴一功「ソクラテスにおける徳と幸福」
    『古代哲学研究』第22号、1990年、1-13ページ
浜崎盛康「ソクラテスにおける「徳のアスケーシス」」
    掛下・富永編『仏蘭西の智恵と芸術』行人社、1994年、11-25ページ
三嶋輝夫「勇気について」
    『青山学院大学一般教育部論集』第25号、1984年、21-37ページ
村島義彦「ソクラテスにおける知・徳・教育──命題「徳は知なり」をめぐって」
    『待兼山論争 心理・社会・教育』第8号、1975年1月、23-39ページ
村島義彦「「アポリア」と「愛知」──ソクラテスの徳論における」
    『岡山理科大学紀要』第14号、1978年、151-161ページ
米沢茂「ソクラテスは何故脱獄を拒否したか?──アテーナイ市民として、神の僕として」
    『北九州大学外国語学部紀要』第60号、1987年3月、29-59ページ

(d) 教育
岩間秀幸「ソクラテスの人間教育における<知>と<吟味>の意味 (2)」
    『国学院大学栃木短大紀要』第22号、1988年、63-85ページ
岩間秀幸「ソクラテスの人間教育における<知>と<吟味>の意味 (3)」
    『国学院大学栃木短大紀要』第23号、1989年、17-44ページ
加藤守通「パルメニデス・プロタゴラス・ソクラテス──古代ギリシアにおける3つの教師像」
    『教育哲学研究』第65号、1992年、1-6ページ
川島清吉「ソクラテスの教育と後継者プラトン」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第11号、1976年、1-23ページ
北畠知量「ソクラテスの教育思想の基本性格とその限界について──教育学的「自己産出」思想起源論序説」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第1号、1978年、3-81ページ
北畠知量「教育者ソクラテスの成立過程──自然学の徒から教育者への転換は如何にして可能であったか」
    『教育哲学研究』第39号、1979年、31-47ページ
北畠知量「対話過程から見たソクラテスの教育の基本性格」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第2号、1979年、3-48ページ
北畠知量「ソクラテス研究の教育的視座」
    『同朋大学論叢』第58号、1988年6月、35-73ページ
北畠知量「ソクラテスの教育の実体とその歴史的限界について」
    『同朋大学紀要』第7号、1993年、1-32ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──1」
    昭和女子大『学苑』第636号、1992年11月、1-15ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──2」
    昭和女子大『学苑』第639号、1993年2月、2-17ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──3」
    昭和女子大『学苑』第645号、1993年9月、2-23ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──4」
    昭和女子大『学苑』第647号、1993年11月、2-17ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──5」
    昭和女子大『学苑』第651号、1994年3月、1-16ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──6」
    昭和女子大『学苑』第656号、1994年9月、1-27ページ
白石浩一「ソクラテスが求めたパイデイアー(教育・教養)──7」
    昭和女子大『学苑』第659号、1994年11月、1-19ページ
村井実「ソクラテス」
    上智大中世思想研究所編『教育思想史I ギリシア・ローマの教育思想』東洋館出版社
    1984年、85-120ページ

(e) 裁判、遵法、死、宗教
岩田靖夫「ソクラテスのダイモニオン」
    科学研究費報告『西洋芸術における「メランコリー」概念の史的考察』、1986年、17-25ページ
岩田靖夫「生と死の逆説──ソクラテスにおける生と生の彼方」
    岩田・塚本編『人間、その生と死』平楽寺書店、1993年、1-14ページ
岩田靖夫「否定の精神と超越への予感──キルケゴールのソクラテス理解をめぐって」
    古屋安雄編『なぜキリスト教か』創文社、1993年、661-686ページ
岩田靖夫「ソクラテスにおける超越的なもの」
    岩田靖夫『倫理の復権』岩波書店、1994年、131-154ページ
    岩田『ソクラテス』、169-201ページ
岩田靖夫「内在と超越──ハイデガーの「無」とソクラテスの「ダイモニオン」」
    『中世思想研究』第36号、1994年、118-126ページ
岩田靖夫「ソクラテスの神」
    仙台白百合短大『カトリック研究所論集』第1号、1995年、9-19ページ
岡野哲士「神観と思想形成──ソクラテスとエピクロスをめぐって」
    神奈川大『人文学研究所報』第22号、1989年、1-11ページ
小沢克彦「ソクラテスとオリュムポスの神々──ソクラテスに於ける神とは何であったか」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第23号、1975年、45-58ページ
小沢克彦「ソクラテスの神」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第27号、1979年、17-32ページ
加藤幸夫「ソクラテスの哲学的生とその死」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第3号、1989年、47-61ページ
嘉吉純夫「ソクラテス裁判に関する1考察──ヘーゲルのSchicksal des Socratesを手がかりとして」
    日本大『精神科学』第22号、1983年、185-201ページ
嘉吉純夫「ソクラテスと遵法の問題──『弁明』と『クリトン』の間にあるもの」
    日本大『ACADEMEIA』第2号、1984年3月、27-47ページ
久野晋良「ソクラテスの宗教性」
    『大阪経大論集』第174号、1986年11月、513-522ページ
G. クリストファー(山川偉也訳)「ソクラテスの死」
    『阪南論集』第10巻第4号、1975年、33-40ページ
小山宙丸「ソクラテスの方法序説──哲学と宗教」
    早稲田大『フィロソフィア』第78号、1990年、77-90ページ
向坂寛「ソクラテスとダイモン」
    日本大『精神科学』第18号、1979年、19-32ページ
高橋久一郎「ソクラテスと国家」
    『創文』第323号、1991年7月、10-14ページ
戸塚七郎「ソクラテスと死」
    『日本医師会雑誌』第105巻第7号、1991年4月、1093-1095ページ
中村純「ソクラテス裁判の政治的1側面──告発者アニュトスの意図をめぐって」
    東北大『西洋史研究』新輯第12号、1983年、33-52ページ
H. J. パーキンソン(北畠知量訳)「ソクラテスの弁明」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第5号、1982年、124-146ページ
東千尋「ソクラテスの神学」
    『国学院雑誌』第95巻第6号、1994年6月、1-11ページ
保坂幸博「ソクラテスの宗教裁判」
    日本宗教学会『宗教研究』第61巻第2輯、1987年9月、65-88ページ
三嶋輝夫「理性と理性を越えるもの──如何にしてソクラテスはかくも決然と行為し得たのか
    ──ギリシア哲学から」、『理想』第648号、1992年1月、42-55ページ
三嶋輝夫「ソクラテスと神──ギリシア思想における信と知への1視角」
    日本倫理学会編『信と知』慶応通信、1993年、3-18ページ
水崎博明「ソクラテスの行き来の謎について──あるいは「ダイモーンの合図」によって始めるということ」
    『福岡大学研究所報』第43号、1979年8月、81-113ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、47-108ページ
箕浦恵了「ソクラテスと死後の生」
    大谷大『哲学論集』第33号、1986年、18-31ページ
箕浦恵了「ソクラテス的対話の生成と宗教的基礎」
    『大谷大学研究年報』第47集、1995年、1-40ページ
宮下博信「ソクラテスの死」
    早稲田大『現代思想』第5号、1981年、1〜24ページ
八木雄二「罪悪の自覚と無知の自覚──ソクラテスと親鸞とイエス」
    『多摩芸術学園紀要』第15巻、1989年、27-45ページ
和田義治「ソクラテスにおける神に関する1考察」
    早稲田大『哲学世界』第15号、1992年8月、95-106ページ

(f) ソクラテス像
磯部隆「ソクラテスの歴史的実像──アリストファネスの喜劇『雲』の分析による」
    『名古屋大学法政論集』第154号、1994年3月、435-463ページ
内山勝利「ソクラテス「書簡集」」
    『関西大学文学論集』創立100周年記念特輯(上)、1986年11月、249-264ページ
嘉吉純夫「アリストテレスのソクラテス観について」
    日本大『精神科学』第24号、1985年、151-166ページ
北畠知量「ヤスパースのソクラテス・プラトン像」
    『同朋大学論叢』第44-45号、1981年6月、667-686ページ
北畠知量「『雲』のソクラテス」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第7号、1984年、47-72ページ
北畠知量「『思い出』に描かれたソクラテス」
    『同朋大学論叢』第64-65号、1991年6月、315-323ページ
クセノポン(河井真・藤井一亮訳)「ソクラテスの弁明」
    『兵庫教育大学研究紀要』第13巻第2分冊、1993年、115-124ページ
白石浩一「アリストパネス『雲』に描かれたソクラテス(1)」
    昭和女子大『学苑』第623号、1991年9月、1-15ページ
白石浩一「アリストパネス『雲』に描かれたソクラテス(2)」
    昭和女子大『学苑』第625号、1991年11月、2-16ページ
白石浩一「アリストパネス『雲』に描かれたソクラテス(3)」
    昭和女子大『学苑』第628号、1992年2月、1-14ページ
田中亨英「プラトンと歴史的ソクラテス(1)」
    『北海道大学文学部紀要』第41巻第3号、1993年2月、129-162ページ
ディオゲネス・ラエルティオス(武井英明訳)「著名哲学者の生涯と見解(ソクラテス、クセノフォン、
    アイスキネス)」、『立正大学教養部紀要』第13号、1979年、21-33ページ
中西裕一「ソクラテス問題について」
    『日本大学生産工学部研究報告B文系』第26巻第1号、1993年6月、1-11ページ
米沢茂「ソクラテスの2つの自伝」
    『北九州大学外国語学部紀要』第69号、1990年7月、43-69ページ
輪田稔「ニーチェのソクラテス像」
    『東北大学教養部紀要』第41号I、1984年12月、170-192ページ

(g) その他
W. イェーガー(山野耕治訳)「ソクラテス(1)」
    大阪府立大『人文学論集』第5集、1987年、127-146ページ
池田晶子「形而上学的一撃(メタフィジカル・パンチ)−1−ソクラテスさん」
    『諸君』第27巻第1号、1995年1月、204-207ページ
井上忠「ソクラテスとエクスタシス」
    『現代思想』第8巻第10号、1980年10月、68-72ページ
    井上忠『哲学の刻み4』法蔵館、1986年、76-84ページ
井上忠「ソクラテスと道元──ギリシア哲学の観点から」
    『講座道元5 世界思想と道元』春秋社、1980年、109-134ページ
    井上『哲学の刻み4』法蔵館、1986年、231-261ページ
井上ひさし「激白・亭主ソクラテスのすべて」
    『月刊教育の森』第4巻第8号、1979年8月、64-75ページ
岩田靖夫「ソクラテスの問い──原点への環帰」
    『哲学』第43号、1993年4月、1-17ページ
植木幹雄「遥かなるソクラテス──実践哲学の復権」
    北海道大『哲学』第18号、1981年、20-39ページ
大久保正健「技術者としてのソクラテス」
    『杉野女子大学紀要』第22号、1985年、38-55ページ
小沢克彦「芸術に於ける知識と超越性──ソクラテスとムーサの途」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第26号、1978年、35-60ページ
北畠知量「ソクラテスの生きた時代」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第3号、1980年、3-70ページ
北畠知量「ソクラテスとプラトン──研究ノートより」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第4号、1981年、3-31ページ
北畠知量「知恵史上におけるソクラテス(1)」
    『同朋大学論叢』第49号、1983年12月、75-98ページ
北畠知量「知恵史上におけるソクラテス(2)」
    『同朋大学論叢』第50号、1984年6月、113-140ページ
北畠知量「知恵史上におけるソクラテス(3)」
    『同朋大学論叢』第51号、1984年12月、147-160ページ
北畠知量「知恵史上におけるソクラテス(4)」
    『同朋大学論叢』第52号、1985年6月、93-123ページ
北畠知量「ソクラテスへのアプローチ(上)」
    『同朋大学論叢』第55号、1986年12月、49-82ページ
北畠知量「ソクラテスへのアプローチ(中)」
    『同朋大学論叢』第56号、1987年7月、49-68ページ
北畠知量「ソクラテスへのアプローチ(下)」
    『同朋大学論叢』第57号、1987年12月、71-87ページ
北畠知量「ソクラテスの衝撃」
    『教育哲学研究』第66号、1992年、59-72ページ
北畠知量「プラトン著作におけるソクラテスの愛知」
    『同朋大学紀要』第6号、1992年、21-39ページ
北畠知量「ソクラテスはなぜ愛知を勧めたか」
    『同朋大学紀要』第8号、1994年、1-27ページ
桐江醴樽(井上忠)「ソクラテスは何を見たか」
    『理想』第532号、1977年9月、11-19ページ
    井上『哲学の刻み3』法蔵館、1986年、88-100ページ
小池澄夫「ソクラテスとソフィスト・弁論家たち」
    『新・岩波講座哲学14 哲学の原型と発展』岩波書店、1985年、138-162ページ
小山宙丸「ソクラテスの存在の意味 序説」
    『早稲田大学文学研究科紀要 哲学・史学』第34輯、1988年、1-13ページ
斉藤規・岸田博「公民的資質形成についての1考察──ソクラテス像の扱いをめぐって」
    『東京農業大学一般教育学術集報』第25巻、1995年、59-68ページ
向坂寛「恥(aidos)のギリシア的理解──(その4)ソクラテスにおけるaidos」
    日本大『ACADEMEIA』第2号、1984年3月、9-13ページ
沢田允茂「もう1度ソクラテスの名を」
    『理想』第652号、1993年11月、93-98ページ
杉村圭一「ソクラテスの自然観」
    『平安女学院短大紀要』第8号、1977年、1-7ページ
玉井茂「ソクラテスの妻」
    『文化評論』第210号、1978年10月、148-159ページ
松永雄二「ソクラテスの現存」
    『現代思想』第10巻第5号、1982年3月、12-20ページ、松永『知と不知』、3-16ページ
松永雄二「問われているもの──ソクラテスの場合」
    九州大公開講座委員会編『生きがいの探究』九州大学出版会、1983年、229-250ページ
諸富祥彦「キルケゴールの「倫理的伝達」による実存の覚醒──「ソクラテス的産婆術」の受容と批判
    的展開」、『教育哲学研究』第66号、1992年、43-58ページ
山口義久「ソクラテスと産婆術──「ソクラテス問題」への1視点」
    大阪府立大『人文学論集』第9-10集、1991年、59-75ページ

4.プラトン(主題別、著者名、発行年順)

(a) イデア論
浅野幸治「プラトンのイデア論の不完全述語解釈その後──中畑とホワイト」
    『阪南論集 人文・自然』第31巻第1号、1995年6月、1-11ページ
天野正幸「episteme──イデア認識の問題」
    『哲学雑誌』第90巻第762号、1975年、178-199ページ
天野正幸「プラトーンは超越的イデア論者か?」
    『東北大学文学部研究年報』第35号、1985年、190-164ページ
稲垣不二麿「イデアリスムスへの道程──ソクラテス・プラトンの思想」
    『奈良県立短大研究季報』第25巻第1号、1977年6月、75-94ページ
井上忠「プラトンの「分有」論からD. スコトゥスの「このもの性」論へ」
    『中世思想研究』第20号、1978年、109-114ページ
今井直重「プラトンの美のイデア」
    『大阪経済法科大学論集』第21号、1984年2月、1-13ページ
牛田徳子「アリストテレスの「第3の人間論」とイデア論批判」
    『西洋古典学研究』第31号、1983年、19-31ページ
内山勝利「未知なる知の根拠──イデア論への1つの序」
    『理想』第636号、1987年10月、2-11ページ
大久保正雄「理念のかたち かたちとかたちを超えるもの」
    『理想』第654号、1994年12月、95-110ページ
加藤幸夫「プラトン哲学のイデア説に関する基礎的論考」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第5号、1991年、1-11ページ
加藤幸夫「ディアレクティケーと善の形相」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第7号、1993年、1-14ページ
金子佳司「プラトンのイデア論におけるメテクシスの意味」
    日本大『ACADEMEIA』第1号、1980年3月、51-59ページ
小池澄夫「イデア・原範型の消息」
    『理想』第556号、1979年9月、108-120ページ
小池澄夫「オナル・スキアース」
    『理想』第636号、1987年10月、12-21ページ
高橋憲雄「想起説に関する1考察」
    『古代哲学研究』第13号、1981年、13-23ページ
田島孝「イデアの存在と自己述語」
    東洋大『白山哲学』第20号、1986年、42-58ページ
田中邦夫「イデアにおける存在と本質──プラトン形而上学の基本的性格(1)」
    鹿児島大『人文学科論集』第27号、1988年3月、1-33ページ
田中邦夫「イデアにおける存在と本質──プラトン形而上学の基本的性格(2)」
    鹿児島大『人文学科論集』第32号、1990年11月、1-44ページ
田中邦夫「イデアにおける存在と本質──プラトン形而上学の基本的性格(3)」
    鹿児島大『人文学科論集』第33号、1991年2月、1-49ページ
田中亨英「方法としてのイデア」
    『哲学』第36号、1986年、1-15ページ
寺岡弘雄「exaiphnesについて──プラトーンのイデアー論の根本問題」
    『福山市立女子短大紀要』第2号、1975年、29-36ページ
寺岡弘雄「イデアー論の根源」
    『福山市立女子短大紀要』第7号、1980年、9-16ページ
戸塚七郎「パラデイグマ説における模倣と類似について」
    『西洋古典学研究』第27号、1979年、1-14ページ
中川純男「アウグスティヌスとプラトンにおける「分有」」
    『中世思想研究』第17号、1975年、80-88ページ
中西裕一「プラトン初期対話篇におけるイデア論」
    日本大『精神科学』第16号、1977年、90-102ページ
中畑正志「イデアの知への道標」
    『古代哲学研究』第16号 、1984年、11-27ページ
藤沢令夫「<美>それ自体の美しさをめぐって」
    『古代哲学研究』第26号 、1994年、56-65ページ
松永雄二「或る構造(その一)──「イデアの離在と分有について」再考」
    『理想』第512号、1976年4月、2-21ページ
丸野稔「美のイデアと想起の構造」
    掛下・富永編『仏蘭西の智恵と芸術』行人社、1994年、191-203ページ
宮内璋「アナムネーシスを繞って」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第28号、1978年2月、344-318ページ
屋敷紘一「プラトンのイデア論における「書かれたこと」から「書かれなかったこと」へ
    ──彼の「不文の教説」との関連の下に」
    早稲田大理工学部『人文社会科学研究』第27号、1987年3月、71-90ページ
山口義久「内在と超越とめぐって──アリストテレス・プロティノスとイデア論」
    『理想』第636号、1987年10月、38-48ページ
山本千洋「所謂完全述詞と不完全述詞の区別に関して」
    『古代哲学研究』第14号、1982年、1-8ページ
山本千洋「イデアの今生認識について」
    『古代哲学研究』第16号、1984年、1-10ページ

(b) 認識論、形而上学、論理学
浅野楢英「プラトンのディアイレシスの方法──その論理構造の分析」
    『西洋古典学研究』第24号、1976年、43-54ページ
浅野楢英「プラトンのディアレクティケー(1)」
    『東北大学教養部紀要』第28号、1978年2月、1-17ページ
天野正幸「ドクサとエピステーメー」
    『哲学雑誌』第98巻第770号、1983年、1-23ページ
天野正幸「エピステーメーの定義について」
    『哲学雑誌』第103巻第775号、1988年、80-98ページ
天野正幸「エピステーメーと知識──プラトン・アリストテレスのエピステーメー概念」
    東京大哲学研究室『論集』第8号、1989年、53-66ページ
天野正幸「原因の探求──プラトンとアリストテレスの場合」
    『創文』第313号、1990年8月、19-22ページ
天野正幸「プラトンのエピステーメー論」
     『哲学』第41号、1991年4月、52-66ページ
飯田隆「偽テアイテトス──あるいは知識のパラドックス」
    『現代思想』第17巻第13号、1989年12月、108-131ページ
今井知正「自己知の謎」
    『哲学雑誌』第103巻第775号、1988年、99-121ページ
今井知正「偽と不知(1)」
    『東京大学教養学部人文科学科紀要』第93輯(哲学25)、1989年、139-169ページ
今井知正「偽と不知(2)」
    『東京大学教養学部人文科学科紀要』第98輯(哲学26)、1992年、139-156ページ
今井直重「プラトンの知識論」
    『大阪経済法科大学論集』第16号、1982年3月、1-14ページ
内山勝利「エピステーメーとイデア──天野正幸氏への質問」
    『哲学』第41号、1991年4月、67-70ページ
内山勝利「プラトンのディアイレシス──その基本的位置づけ 」
    科学研究費報告『ロゴス概念を軸とするヘラクレイトスおよびプラトン研究』
    1992年3月、35-41ページ
加藤信朗「存在論と弁証論──ギリシアにおける「存在の探求」をめぐる覚え書き(後)」
    『哲学雑誌』第103巻第775号、1988年、1-32ページ
桑子敏雄「プラトンと「虚偽」の問題」
    『理想』第545号、1978年10月、156-166ページ
小池澄夫「「分割法」考案──プラトン後期対話篇への視点」
    『哲学研究』第47巻第3冊第545号、1982年8月、54-76ページ
杉本吉雄「プラトンの哲学に於ける非有の概念」
    『山脇学園短大紀要』第33号、1995年、1-17ページ
高館作夫「プラトンにおけるエピステーメーとドクサ」
    『郡山女子大学紀要』第11集、1975年、131-145ページ
高橋憲雄「ロゴスとドクサ」
    丸山高司他編『知の理論の現在』世界思想社 、1987年、224-240ページ
武宮諦「ロゴスの成立(1)」
    『山口大学文学会志』第38号、1987年1月、111-128ページ
武宮諦「ロゴスの成立(2)」
    『山口大学文学会志』第39号、1988年12月、1-19ページ
田島良一「プラトンにおけるエイコーンと映像」
    『日本大学芸術学部紀要』第11号、1981年、97-90ページ
友村(種山)恭子「「論理」と「感覚印象」──「明証的なもの」とは何か」
    弘前大『文経論叢』第26巻第3号、1991年3月、1-40ページ
長瀬真理「プラトンの知識論(1)──ソクラテスの問の意味」
    『東京女子大学論集』第29巻第2号、1979年3月、1-21ページ
成田育男「魂と知──ソクラテスからプラトンへ」
    『青森明の星短大季報』第7号、1979年2月、51-66ページ
藤田一美「ウーシアーを越えるもの」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第28号、1978年2月、316-291ページ
藤田一美「形而上学的思索と矛盾律──ヘラクレイトスとプラトン」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第5号、1986年、25-52ページ
A. W. ベン(嘉吉純夫訳)「プラトンの後期存在論(前篇)」
    日本大『ACADEMEIA』第2号、1984年3月、49-62ページ
松永雄二「知と不知をめぐる問題──プラトンの初期対話篇に即して」
    九州大『哲学論文集』第11輯、1975年、1-18ページ、松永『知と不知』、17-36ページ
水崎博明「トートロジーのための1つの試論(1)」
    『福岡大学人文論叢』第20巻第1号、1988年6月、223-262ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、161-198ページ
宮沢知江美「プラトン哲学における知識と超越(1)」
    日本女子大『人間研究』第25号、1989年、75-90ページ
宮沢知江美「プラトン哲学における知識と超越(2)」
    日本女子大『人間研究』第26号、1990年、59-77ページ
森進一「私たちはどこまで自由なのか」
    『日本及日本人』第1558号、1980年3月、28-37ページ
森進一「知識とドクサ──「想起」を中心に」
    『関西哲学会紀要』第16冊、1980/81年、29-34ページ
山本千洋「プラトンの認識論の1側面──dialektike、その意義と指向」
    『古代哲学研究』第9号、1977年、1-11ページ
山本千洋「プラトンにおける真の哲学者と偽の哲学者との峻別」
    『佐賀大学教養部研究紀要』第20巻、1988年、33-46ページ

(c) 言語、弁論術
天野正幸「名の正しさについて」
    東北大『思索』第19号、1986年、1-34ページ
向坂寛「プラトンにおける「弁論術」」
    日本大『精神科学』第22号、1983年、35-49ページ
佐藤三郎「論理としての言葉と実存のなかの言葉──プラトン思想と旧約聖書との比較研究」
    『筑波大学教育学系論集』第3巻、1979年、1-20ページ
友村(種山)恭子「「ロゴス」の意味──ソフィスト、プラトン、ストア派」
    弘前大『文経論叢』第22巻第3号、1987年3月、1-32ページ
納富信留「自己を制作する言葉──プラトン言語論序説」
    『哲学雑誌』第106巻第778号、1991年、39-58ページ
屋敷紘一「言葉と存在──プラトンと『八千頌般若経』」
    比較思想学会『比較思想研究』第18号、1991年、63-70ページ

(d) 倫理学
浅井茂紀「ソクラテス、プラトン、アリストテレスの哲学における知──知徳福と関連して」
    『千葉商大論叢』第13巻第2号A、1975年9月、43-66ページ
尼ヶ崎徳一「プラトン──学ぶべき最大のもの」
    深谷・寺崎編『善の本質と諸相』昭和堂、1983年、3-16ページ
内山勝利「洞窟の内と外──プラトンにおける実践と観想をめぐって」
    『思想』第684号、1981年6月、136-153ページ
大窄佐太郎「プラトンにおける哲学的探求と実践」
    『ノートルダム清心女子大学紀要 文化』第6巻第1号、1982年、17-30ページ
岡部勉「プラトンと行為と副詞」
    熊本大『文学部論叢』第30号、1990年11月、1-30ページ
小沢克彦「「人の優れ」への問い──プラトン初期対話篇に於けるアレテーの問題」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第33号、1985年、89-107ページ
小沢克彦「プラトン初期対話篇に於ける「アレテーと技術の類比」の問題」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第35号、1987年3月、39-55ページ
角谷博「技術と徳──プラトンの初期対話篇における徳論の1面」
    『古代哲学研究』第19号、1987年、14-23ページ
川田親之「もう1つの悪行の原因とその解決を求めて──プラトンの場合」
    東洋大『白山哲学』第16号、1982年、80-99ページ
木下昌巳「プラトンとヴァーチュー・エシクス」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第1号、1992年2月、27-37ページ
種山恭子「偽りの快楽──プラトンの快楽主義批判」
    滋賀大『彦根論叢』第287-288号、1994年1月、37-56ページ
小林信行「欲求と欠如──プラトン初期から中期への或る素描」
    『古代哲学研究』第8号、1976年、19-28ページ
小林信行「美を問うことについて──あるいは美と倫理のために」
    九州大『哲学論文集』第25輯、1989年、45-60ページ
酒井慶吾「プラトンの敬虔論」
    『玉川大学文学部論叢』第29号、1988年、201-212ページ
塩出彰「倫理的行為の価値づけについて──プラトンvs.アリストテレス」
    『古代哲学研究』第7号、1975年、20-30ページ
武宮諦「行為の知」
    『山口大学哲学研究』第1巻、1992年、1-28ページ
出村和彦「初期プラトーン対話篇におけるアレテー(善さ)の用法」
    『岡山大学文学部紀要』第17号、1992年7月、63-76ページ
朴一功「内なる行為」
    『関西哲学会紀要』第24冊、1989年、77-84ページ
朴一功「プラトンの「自殺禁止論」」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第3号、1993年12月、1-14ページ
I. マードック(小林信行訳)「善の至高性について」
    『福岡大学総合研究所報』第127号、1990年6月、23-43ページ
松永雄二「「よくなすこと」或いは「よく生きること」
    ──善(よい)と存在(ある)にかかわる問題地平の解明のために」
    『理想』第570号、1980年11月、2-20ページ、松永『知と不知』、133-155ページ
松永雄二「<よい>(善)というそのことへの接近──行為と徳(アレテー)にかかわる知の問題を
    めぐって」、九州大哲学研究室編『行為の構造』勁草書房、1983年、25-55ページ
    松永『知と不知』、157-192ページ
松永雄二「自然と自然を越えるもの──わたしの生のあることについて」
    『新・岩波講座哲学5 自然とコスモス』岩波書店、1985年、85-113ページ
    松永『知と不知』、193-220ページ
松永雄二「「よく生きること」ということ──ソクラテス、プラトンの場合」
    九州大『哲学論文集』第28輯、1992年、1-19ページ
三嶋輝夫「プロタゴラスと倫理的相対主義」
    『青山学院大学一般教育部論集』第26号、1985年、33-43ページ
水野一「敬虔の徳について──プラトンの場合」
    『西洋古典学研究』第26号、1978年、68-77ページ
村上正治「アントローピネー・ソピアー──「無知の自覚」と「魂の配慮」」
    『古代哲学研究』第27号、1995年、20-28ページ
森際康友「哲人王の秩序──プラトン哲学における観想と実践」
    森際・桂木編『人間的秩序──法における個と普遍』木鐸社、1987年、115-142ページ
山内友三郎「正しいものは幸福か──プラトンとヘア」
    関西倫理学会『倫理学研究』第17集、1987年、1-12ページ
吉田雅章「プラトンに於ける「行為」の問題──プラトン前期対話篇の基本的思考を求めて」
    九州大『哲学論文集』第12輯、1976年、21-36ページ
脇條靖弘「プラトン初期対話篇における諸善と幸福」
    『関西哲学会紀要』第26冊、1991年、68-74ページ

(e) 教育、哲学観
今井直重「プラトンの教育国家論(2)」
    『大阪経済法科大学論集』第3号、1975年7月、61-76ページ
今井直重「プラトンの国民教育論」
    『大阪経済法科大学論集』第4号、1977年5月、1-69ページ
植田義人「プラトンの教育的表象についての1考察」
    関西学院大『人文論究』第45巻第1号、1995年5月、99-109ページ
内田克孝「プラトンの理想国家における教育」
    『金蘭短大研究誌』第12号、1982年、1-10ページ
角田幸彦「学としての哲学の道──ギリシアの5人の哲学者、ヘラクレイトス、パルメニデス、ソクラテス、
    プラトン、アリストテレス」、『明治大学教養論集』第275号、1995年3月、1-83ページ
高館作夫「プラトンにおける哲学知について──その現場的解釈」
    『教育思想』第4号、1976年、1-16ページ
高寺宏延「プラトンの哲学的教育論」
    『国士舘大学教養論集』第20号、1985年3月、13-25ページ
西岡孝治「エロス・ロゴス・ノモス──プラトンの人間観」
    『北海道教育大学紀要 人文』第27巻第2号、1977年2月、1-8ページ
平野陽一「ブラキュロギア──プラトンにおけるもう1つのピロソピアーのあり方について」
    東海大『文明研究』第7号 、1988年、41-51ページ
広川洋一「2つのピロソピアー──プラトンとイソクラテス」
    飯塚他編『世界観と哲学の原理』東海大学出版会、1982年、229-249ページ
広川洋一「プラトンと知的環境──<ピロソピアー>と<イデア−エイドス>の2つの言葉をめぐって」
    『東海大学紀要 文学部』第48輯、1987年、1-21ページ
広川洋一「プラトンにおける教育と素質──教育の可能性をめぐって」
    東海大『バルカン・小アジア研究』第14号、1988年、73-83ページ
藤沢令夫「プラトン的対話形式の意味とその必然性──文学と哲学」
    『岩波講座文学 第4巻』、1976年、279-308ページ、藤沢『イデアと世界』、65-94ページ
フランシスコ・ペレス「人間にふさわしい智恵への愛」
    上智大『哲学科紀要』第18号、1992年、1-16ページ
増田栄「プラトンの教育思想研究ノート──ムーシケーとエートス(1)」
    『福岡女学院短大紀要』第15号、1979年、35-45ページ
増田栄「プラトンのエートス論──知識・知性の教育との関わりについて」
    『福岡女学院短大紀要』第19号、1983年、43-56ページ
松永雄二「プラトンのphilosophia」
    『中世思想研究』第18号、1976年、158-162ページ
村井実「プラトンの教育論」
    上智大中世思想研究所編『教育思想史I ギリシア・ローマの教育思想』東洋館出版社
    1984年、121-141ページ
村島義彦「プラトンの考える「あるべき人間」の分析──「正義」論と「霊魂」論を中心として」
    『岡山理科大学紀要』第16号、1980年、177-187ページ
村島義彦「知を愛する人:プラトン」
    鰺坂・岡田編『教育の歴史──理想的人間像を求めて』ミネルヴァ書房、1980年、1-13ページ
山井徳行「国際化の概念の検討──プラトンの人間論を基礎にして」
    『光陵女子短大研究紀要』第8号、1990年、177-203ページ
山本和子「プラトーンの健康論」
    『帝塚山大学教養学部紀要』第35号、1993年、33-40ページ

(f) 政治、法律、正義
今井直重「プラトンのノモス論」
    『大阪経済法科大学論集』第12号、1980年12月、25-79ページ
今井直重「プラトンの政治論」
    『大阪経済法科大学論集』第15号、1982年1月、1-24ページ
今井直重「プラトンにおける国家と法」
    『大阪経済法科大学論集』第17号、1982年7月、1-14ページ
今井直重「プラトンのイデアとイデア国家」
    『大阪経済法科大学論集』第18号、1983年1月、1-14ページ
内田忠寿「プラトン分業論の経済思想(上)」
    『東海大学紀要 政治経済学部』第17号、1985年、1-14ページ
内田忠寿「プラトン分業論の経済思想(下)」
    『東海大学紀要 政治経済学部』第18号、1986年、1-14ページ
内山勝利「理想国家と民主主義──プラトンの政治思想における理想と現実」
    『理想』第651号、1993年6月、12-22ページ
大久保正健「プラトンにおける正義の概念」
    『杉野女子大学紀要』第24号、1987年、119-135ページ
落合忠士「プラトンとアリストテレスの国家論におけるユートピアニズム」
    『京都学園大学論集』第15巻第2号、1986年11月、156-181ページ
乙訓稔「政治と教育──プラトンをめぐって」
    カリタス女子短大『カリタス叢書』第12号、1976年12月、38-68ページ
加来彰俊「哲人王と法の支配」
    『法政大学文学部紀要』第23号、1977年、1-25ページ
金山万里子「古代ギリシアにおける「正義」観──プラトン哲学への序章」
    久保田勉編『変革期の思索』ミネルヴァ書房、1989年、2-18ページ
川田親之「プラトンの正義論」
    『東洋大学大学院紀要』第15集、1978年、1-15ページ
岸見一郎「プラトンの刑罰論」
    『関西哲学会紀要』第21冊、1986年、57-62ページ
桑原直己「プラトンにおける正義論成立の地平」
    『三重大学教育学部研究紀要 人文・社会』第37巻、1986年、29-38ページ
塩出彰「プラトン──正義と幸福」
    寺崎峻輔他編『正義論の諸相』法律文化社、1989年、1-18ページ
式部久「哲学と政治の一体化──プラトンの哲学者像から」
    広島大学総合科学部ヨーロッパ研究講座編『ヨーロッパ的人間』勁草書房、1985年、26-49ページ
白石正樹「プラトンの「法律の国」(1)」
    『創価法学』第22巻第1号、1992年9月、109-148ページ
白石正樹「プラトンの「法律の国」(2)」
    『創価法学』第22巻第3-4号、1993年9月、1-38ページ
鈴木秀勇「プラァトォーンとピュートハアゴォラァース派のアルクヒユータァース──「国家内の争乱」
    「スタァスィス」の原因としての「奪取による市民間の取分の不平等」(「プレェオンエクスィ
    アー」)──I、(1)-12」、札幌大『経済と経営』第24巻第3号、1993年12月、139-163ページ
鈴木秀勇「プラァトォーンにおける・「社会内分業」の<理論>と、マルクスによる・それの<致命的誤認>
    ──I、2-1」札幌大『経済と経営』第26巻第1号、1995年6月、97-183ページ
関家新助「プラトンにおける国家論の悲劇」
    『日本社会事業大学研究紀要』第34集、1988年、75-104ページ
高尾正男「プラトンの政治と倫理」
    『関西大学法学論集』第39巻第6号、1990年3月、1-20ページ
松田安央「プラトン──政治と哲学」
    藤原・飯島編『西洋政治思想史・I』新評論、1995年、6-23ページ
三島淑臣「プラトンの法思想について──1つの覚え書」
    九州大『法政研究』第46巻第2-4号、1980年3月、243-274ページ
宮坂万喜弘「ソクラテス・プラトンと古代アテネ民主政治」
    『常磐学園短大研究紀要』第16号、1987年、50-43ページ
森進一「政治家の目標──プラトンから」
    『日本及日本人』第1579号、1985年7月、20-30ページ
吉武清彦「社会思想家としてのA. スミスとプラトン」
    小樽商科大『商学討究』第37巻第1-3号、1987年1月、3-24ページ
クラウス・ルーメル(森川直訳)「精神の解放──プラトン社会・政治哲学をめぐる論争における自由
    教育の理想」、『上智大学 教育学・心理学論集』第10号、1975年、29-52ページ

(g) 愛
加藤素明「プラトンのエロース論──その相互流動性をめぐる考察」
    『京都大学美学美術史研究室 研究紀要』第15号、1994年9月、51-68ページ
桑子敏雄「「好み」の概念」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第46号、1987年9月、25-39ページ
式部久「ギリシア哲学における愛──プラトンのエロース論を中心に」
    日本倫理学会編『愛』以文社、1981年、114-137ページ
内藤純郎「愛(エロース)について──サッポーとプラトン」
    『横浜市立大学論叢』第33巻第1号、1981年3月、1-24ページ
東千尋「プラトニックラブについて」
    『国学院雑誌』第80巻第9号、1979年9月、50-61ページ
フランシスコ・ペレス「愛に関する最古の哲学──プラトン哲学の1断片」
    上智大『哲学科紀要』第6号、1980年、1-37ページ

(h) 美学、詩歌、芸術
大久保正雄「魂の美学──プラトンの対話篇に於ける美の探究」
    上智大『哲学論集』第22号、1993年、101-118ページ
角田幸彦「プラトンにおける文芸批判──哲学と文学」
    『明治大学教養論集』第129号、1980年2月、41-61ページ
掛下栄一郎「瞬間の美学への試論(2)──プラトンを中心に」
    『早稲田人文自然科学研究』第12号、1975年2月、39-54ページ
加藤浩「詩作と哲学──プラトン<詩学>構築のために」
    『美学』第144号、1986年3月、24-35ページ
加藤浩「詩作の成立──プラトンにおける霊感と模倣の概念をめぐって」
    大阪大『フィロカリア』第3号、1986年、35-57ページ
加藤浩「ミュートスとポイエーシス──プラトン<詩学>の可能性」
    『美学』第165号、1991年6月、12-23ページ
北野雅弘「プラトンの詩人追放論」
    『美学』第141号、1985年6月、1-12ページ
北野雅弘「プラトンにいたる美と芸術の理論」
    当津武彦編『美の変貌──西洋美学史への展望』世界思想社、1988年、4-31ページ
関村誠「プラトンにおける像とミーメーシス」
    『美学』第168号、1992年3月、12-22ページ
武宮諦「プラトン」
    今道友信編『西洋美学のエッセンス』ぺりかん社、1987年、13-30ページ
友村(種山)恭子「プラトンの<詩人追放>論の背景(1)」
    弘前大『文経論叢』第20巻第3号、1985年3月、19-39ページ
友村(種山)恭子「プラトンの<詩人追放>論の背景(2)」
    弘前大『文経論叢』第21巻第3号、1986年3月、1-21ページ
藤田一美「プラトーンとアリストテレースに於ける文藝創作の基本的指標に就いて」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第25集、1975年3月、279-315ページ
藤田一美「神と人と藝術──プラトン藝術論断章」
    『美学』第104号、1976年、1-12ページ
藤田一美「プラトンに於ける作品解釈と美的体験に就いて」
    今道友信編『芸術と解釈』東京大学出版会、1976年、71-96ページ
藤田一美「プラトン美学に於ける存在と像と言葉」
    今道友信編『芸術と想像力』東京大学出版会、1982年、131-156ページ
藤田一美「ミーメーシスとポイエーシス」
    『新・岩波講座哲学13 超越と創造』岩波書店、1986年、125-156ページ
藤田一美「ポイエーシスにおける存在と意味(1)」
    科学研究費報告『ポイエーシスの同一性と差異性』、1988年、1-16ページ
藤田赤二「プラトンの美学」
    『早稲田商学』第252-253号、1975年12月、1-16ページ
松尾力雄「古代ギリシア悲劇について──プラトンとアリストテレス」
    『阪南論集 人文・自然』第26巻第2号、1990年9月、1-7ページ
村山雅子「プラトンの美意識」
    早稲田大『現代思想』第5号、1981年、25-46ページ
山田道夫「「美とは何であるか」の問いの地平」
    『関西哲学会紀要』第26冊、1991年、81-87ページ
渡辺義治「プラトンの詩人像──霊感説と模倣説との統合の視点から」
    東海大『バルカン・小アジア研究』第9号、1983年、75-89ページ
渡辺義治「プラトンの詩論における霊感説と模倣説──詩論の発展の視点から」
    東海大『文明』第40号、1984年、35-53ページ

(i) 魂
今井直重「プラトンの魂の構造」
    『大阪経済法科大学論集』第19号、1983年3月、1-14ページ
今井直重「プラトンのノモイ、プシケー、ヌース」
    『大阪経済法科大学論集』第22号、1984年3月、19-32ページ
落合忠士「プラトンから新プラトン学派に至る魂観の推移」
    『京都学園大学論集』第15巻第3号、1987年3月、110-138ページ
国方栄二「プラトンの魂原因説」
    『関西哲学会紀要』第19冊、1984年、29-34ページ
桑原直己「プラトンと魂──「さとり」と「まよい」」
    『関東学院大学文学部紀要』第39号、1983年、23-35ページ
斉藤俊之「プラトンにおける不正と魂」
    『学習院大学文学部研究年報』第41輯、1994年、27-38ページ
左近司祥子「「ソクラテスの死」──「魂不死」をめぐるプラトンとプロチノス」
    『学習院大学文学部研究年報』第27輯、1980年、1-16ページ
田中龍山「プラトンのヌース──『国家』期までの」
    『龍谷哲学論集』第7号、1991年、1-25ページ
中西裕一「プラトンにおける「神聖な伝承」について──「魂」の意味をめぐっての1考察」
    『日本大学生産工学部研究報告B文系』第23巻第1号、1990年6月、1-9ページ
中西裕一「プラトンにおける「魂」の意味について」
    『武蔵野美術大学研究紀要』第21号、1991年、131-137ページ
七山武仁、鈴木邦雄「プラトンの心身論(1)」
    『大阪産業大学論集 人文』第60号、1986年10月、19-32ページ
広川洋一「プラトンの感情論──古代感情論の系譜(1)」
    『思想』第839号、1994年5月、4-33ページ
広川洋一「プラトンにおける徳と感情──古代感情論の系譜(4)」
    『思想』第848号、1995年2月、109-131ページ
星野慎吾「プラトンの生命論」
    慶応大『人文科学』第3号、1988年、71-94ページ
森泰一「プラトンにおける不死なる魂の本性と人間の個性に関する1考察」
    『古代哲学研究』第17号、1985年、17-31ページ
米沢茂「魂の不滅性について──プラトン哲学における」
    『北九州大学外国語学部紀要』開学30周年記念号、1982年1月、145-159ページ

(j) 自然学
岩野秀明「プラトンの宇宙論における<時間>の諸問題」
    東京情報大『経営情報科学』第2巻第3号、1989年12月、235-253ページ
内山勝利「感覚・動・魂──プラトンの自然学への予備的考察」
    『関西大学文学論集』創立90周年記念特輯、1975年11月、99-114ページ
内山勝利「感覚・動・魂──プラトンの自然学への予備的考察」
    『関西大学哲学』第7号、1976年、1-16ページ
大橋良介「プラトンの「瞬間」と弁証法──弁証法の限定の試み」
    『理想』第533号、1977年10月、196-212ページ
角田幸彦「プラトンとM. ポンティ──choraの存在論とchairの存在論」
    『明治大学教養論集』第125号、1979年2月、63-77ページ
川島清吉「アカデメイアにおける科学者としてのプラトン」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第10号、1975年、1-21ページ
川島清吉「プラトンの自然学における「運動」「空間」「時間」「必然」の概念」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第12号、1977年、3-21ページ
川島清吉「プラトンの自然学部分論」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第16号、1981年、1-15ページ
川島清吉「プラトンの自然学の系譜と歴史的発展」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第18号、1983年、1-12ページ
種山恭子「プラトンの宇宙論におけるpathema、 pathosの一考察」
    『西洋古典学研究』第26号、1978年、53-67ページ
種山(友村)恭子「プラトンの<数学的自然観>の背景」
    『東北哲学会年報』第1号、1985年、1-17ページ
杉本良子「プラトンの自然観」
    『ノートルダム清心女子短大論叢』第4号、1978年、31-53ページ
鈴木照雄「いわゆるプラトンの物質」
    大阪市立大『人文研究』研究』研究』第29巻第9分冊、1977年、1-23ページ
    鈴木『ギリシア思想論攷』、249-274ページ
高橋憲雄「プラトンの<時>について──創造論の観点からの再調査」
    『思想』第721号、1984年7月、74-85ページ
田島孝「プラトン対話篇にみられる時間の構造」
    『東洋大学大学院紀要』第29集、1992年、1-14ページ
土屋賢二「時間概念の原型──プラトンとアリストテレスの時間概念」
    『新・岩波講座哲学7 トポス 空間 時間』岩波書店、1985年、36-67ページ
土屋睦広「プラトンの粒子論における空虚の問題」
    『早稲田大学文学研究科紀要 哲学・史学』別冊第19輯、1992年、3-11ページ
中西裕一「科学史におけるプラトン」
    『日本大学生産工学部研究報告B文系』第25巻第1号、1992年6月、1-13ページ
浜下昌宏「「色」の哲学史通覧(1)──プラトンからロックまで」
    『多摩芸術学園紀要』第11巻、1985年、48-60ページ
堀内操「生成と制作──ギリシア思想の展開1──プラトンの「デミウルゴス」について」
    『高千穂論叢』昭和50年度第1号、1975年12月、105-119ページ
丸橋裕「哲学的宇宙論の誕生──プラトンの原因論の生成と発展を通じて」
    『古代哲学研究』第18号、1986年、1-12ページ
矢内光一「プラトン自然哲学の根底」
    『東京教育大学文学部紀要』第105号、1976年3月、1-21ページ
矢内光一「プラトンの宇宙の時間性と空間性(1)」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第3号、1977年、103-116ページ
矢内光一「プラトンの宇宙の時間性と空間性(2)」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第4号、1978年、69-78ページ
矢内光一「プラトンの宇宙の時間性と空間性(3)」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第5号、1979年、43-56ページ
山田道夫「プラトンにおける自然学の可能性」
    井上・小林編『自然観の展開と形而上学』紀ノ国屋書店、1988年、3-30ページ

(k) 神学
落合忠士「プラトンから新プラトン学派に至る神観の推移」
    『京都学園大学論集』第16巻第1号、1987年6月、104-129ページ
桑名晏子「プラトンにおける神話のやくわり(1)」
    『KATHARSIS』第2号、1984年11月、1-61ページ
桑名晏子「プラトンにおける神話のやくわり(2)」
    『KATHARSIS』第3号、1985年12月、1-104ページ
津村寛二「プラトンの神について」
    『帝塚山大学論集』第54号、1986年9月、1-16ページ
藤田一美「プラトーンのtheologikeに就いての1試論」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第27号、1977年2月、21-45ページ

(l) その他
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの歴史的意義」
    大阪府立大『人文学論集』第1集、1983年、87-98ページ
池田大作「不死鳥の哲人・プラトン(私の人物観──9)」
    『潮』第220号、1977年9月、222-227ページ
井上忠「これからプラトンを読むために」
    『理想』第570号、1980年11月、21-28ページ
    井上『哲学の刻み4』法蔵館、1986年、137-147ページ
岩崎允胤「夢のなかでの対話──ヴァレリーとプラトン」
    『大阪経済法科大学論集』第57号、1994年9月、1-8ページ
越前谷悦子「アナロジーについて──哲学の端緒からプラトンまで」
    『国学院雑誌』第85巻第7号、1984年7月、58-69ページ
岡部勉「真理──プラトンから何を学ぶか」
    『西日本哲学年報』第1号、1993年、81-93ページ
大槻真一郎「プラトンの「神話」(ミュートス)──垂直思考への試み」
    『実存主義』第81号、1977年7月、43-52ページ
角田幸彦「西田幾多郎とプラトン、アリストテレス、プロチノスとの対決」
    『明治大学教養論集』第201号、1987年3月、57-69ページ
角田幸彦「歴史哲学試論──プラトンとブルクハルトとの対話によって」
    『明治大学教養論集』第211号、1988年3月、1-85ページ
角田幸彦「プラトン哲学の体系的把握とチュービンゲン学派」
    『明治大学教養論集』第221号、1989年3月、25-55ページ
加藤好光「プラトンおよびプロティノスにおける<helioeides>の概念についての覚書──ゲーテのプロティ
    ノス受用との関連から」、『東京大学美学芸術学研究室紀要』第13号、1994年、110-124ページ
神崎繁「翼の如きイロニー──プラトン的イロニー?」
    『現代思想』第16巻第5号、1988年5月、72-81ページ
小池澄夫「プラトン」
    『新・岩波講座哲学14 哲学の原型と発展』岩波書店、1985年、163-188ページ
小池澄夫「プラトン──「自然主義のドグマ」との対決」
    上智大中世思想研究所編『古代の自然観』創文社、1989年、25-45ページ
小林信行「ノモスとピュシス」
    『福岡大学総合研究所報』第69号、1983年12月、35-44ページ
斉藤忍随「SOPHIAの意味──プラトンの場合」
    比較思想学会『比較思想研究』第12号、1986年2月、10-16ページ
三枝和子「プラトン・本能と哲学」
    『ユリイカ』第27巻第12号、1995年11月、36-45ページ
三枝和子「プラトン・抽象と徳」
    『ユリイカ』第27巻第14号、1995年12月、15-23ページ
向坂寛「プラトンにおける「和」の思想」
    比較思想学会『比較思想研究』第11号、1985年3月、16-22ページ
指方邦文「プラトンの著作に見る技術の概念」
    『福岡工業大学研究論集』第28巻第1号、1995年、27-30ページ
志賀英雄「美・愛・真の福音者プラトン」
    京都芸術短大『瓜生』第6号、1984年、10-16ページ
清水毅「武庫川女子大学体育科のあり方を古典に学ぶ──プラトンの体育・スポーツ観を中心として」
    『武庫川女子大学紀要 体育』第29集、1981年、1-13ページ
鈴木秀勇「いわゆる「価値形成基体」としての「労働」と「労働の継続時間」ないし「労働時間」につ
    いての諸理論──プラァトォーン、A. スミス、K. マルクスおよびアリィストォテェレェース
    ──I、(1)-3」、札幌大『経済と経営』第24巻第3号、1993年12月、117-138ページ
須藤訓任「ニーチェのプラトン──アポロンのヴェールのかげに」
    大谷大『哲学論集』第32号、1985年、42-61ページ
芹沢功「エリート論断章──プラトンとポットモアの間」
    拓殖大『海外事情』第25巻第9号、1977年9月、1-13ページ
武宮諦「自然と人為」
    『新・岩波講座哲学5 自然とコスモス』岩波書店、1985年、34-59ページ
田中亨英「パルメニデスの言葉の道」
    科学研究費報告『古典期アテナイ文化の総合的把握──哲学と文学、及びその歴史的背景』
    1994年、61-85ページ
A.トバール (丹下和彦訳)「プラトン(I)」
    京都大『ユークロニア』第5号、1976年、10-24ページ
A.トバール (丹下和彦訳)「プラトン(II)」
    京都大『ユークロニア』第6号、1977年、24-37ページ
A.トバール (丹下和彦訳)「プラトン(III)」
    『和歌山県立医科大学進学課程紀要』第22巻、1992年、23-58ページ
友村(種山)恭子「生の力と知性の希求(1)──プラトニズム再考」
    弘前大『文経論叢』第24巻第3号、1989年3月、1-31ページ
友村(種山)恭子「プラトニズム再考(1)──現実の事態・事物との関係で」
    弘前大『文経論叢』第29巻第3号、1994年2月、1-32ページ
長瀬真理「言語統計学によるプラトン研究」
    『東京女子大学論集』第31巻第1号、1980年9月、115-148ページ
長瀬真理「電算機利用によるプラトンの文体研究」
    『東京女子大学論集』第35巻第1号、1984年9月、111-140ページ
長瀬真理「コンピュータ利用によるプラトンの文体研究」
    『西洋古典学研究』第35号 、1987年、69-80ページ
中西裕一「「技術」はいかにあるべきか──プラトンの場合」
    日本大『精神科学』第29号、1990年、23-33ページ
中西裕一「ギリシャ語文献研究と電子計算機利用の可能性
    ──パーソナルコンピュータによるプラトンのインデックス作成について」
    明治学院大『言語文化』第1号、1983年、102-114ページ
七山武仁、向井肇晴「プラトンの体育論(1)」
    『大阪府立高専研究紀要』第16巻、1982年、139-148ページ
七山武仁、向井肇晴「プラトンの体育論(2)」
    『大阪府立高専研究紀要』第17巻、1983年、83-90ページ
東千尋「プラトンにおける奴隷の比喩」
    『国学院雑誌』第79巻第3号、1978年3月、1-12ページ
藤沢令夫「プラトンとホワイトヘッド」
    『思想』第709号 、1983年7月、1-19ページ
藤田一美「研究序説──プラトンとキケロ」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第2号、1983年、37-82ページ
藤縄謙三「プラトンは親しき友」
    『群像』第48巻第12号、1993年12月、338-341ページ
丸橋裕「神の操り人形──プラトン最晩年の人間観の一齣」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第5号、1995年12月、31-48ページ
宮沢知江美「プラトン対ニーチェ」
    日本女子大『人間研究』第28号、1992年、28-43ページ
森進一「慎みの心(アイドース)の回復──プラトンから」
    『日本及日本人』第1533号、1976年1月、90-102ページ
森進一「影の洞窟から本然の生へ」
    『日本及日本人』第1540号、1977年3月、20-33ページ
森進一「知と愛の対話について」
    『日本及日本人』第1552号、1979年3月、36-49ページ
森進一「プラトンの箴言」
    『日本及日本人』第1599号、1990年7月、84-94ページ
屋敷紘一「プラトンの「不文の教説」について」
    早稲田大『フィロソフィア』第70号、1982年、215-230ページ
屋敷紘一「プラトンの「書かれることのない学説」をめぐっての問題」
    『哲学』第39号、1989年、82-94ページ
山川偉也「エイコーンとイデア 序説──ヨーロッパ形而上学の読み替えのために」
    『桃山学院大学人文科学研究』第20巻第2号、1984年2月、1-14ページ
山口義久「プラトンのphusisについての覚え書──対象としてのphusisを中心にして」
    『古代哲学研究』第10号、1978年、1-10ページ
山野耕治「プラトンとわたくし」
    『ARTES宝塚造形芸術大学紀要』第8号、1995年3月、219-225ページ
山本吉信「知のカタルシス(草稿)──劇作としてのプラトン初期対話篇」
    『千葉敬愛短大研究紀要』第5号、1983年、1-14ページ

5.個々の著作について(著者名、発行年順)

(a) 『ソクラテスの弁明』
磯部隆「ソクラテスにおける政治と宗教──プラトンによる『ソクラテスの弁明』の検討」
    『名古屋大学法政論集』第155号、1994年3月、273-295ページ
岩間秀幸「ソクラテスの人間教育における<知>と<吟味>の意味 (1)──プラトン『ソクラテス
    の弁明』に即して」、『国学院大学栃木短大紀要』第21号、1987年、39-64ページ
大久保正雄「知と愛 Plato: Apologia Socratis 28d10-30c1」
    『東京法科学院論集』第4号、1990年12月、77-107ページ
甲斐博見「ソクラテスとデルポイの神託──『弁明』20c-23cの問題」
    『福岡大学研究所報』第43号、1979年8月、31-58ページ
甲斐博見「「真実を語る」ということ──『弁明』「不知の知」の問題性」
    九州大『哲学論文集』第16輯、1980年、25-42ページ
甲斐博見「プラトンのソクラテス像・序章(1)──『ソクラテスの弁明』に即して」
    『福岡大学総合研究所報』第91号、1987年3月、13-24ページ
甲斐博見「言葉の力或いは言葉の真実について──プラトン『ソクラテスの弁明』篇の冒頭部の言葉」
    東京都立大『人文学報』第204号、1989年3月、1-29ページ
甲斐博見「ソクラテスにおける哲学の誕生──プラトン『ソクラテスの弁明』20c-24bについて」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、3-22ページ
兼子盾夫「ソクラテスに於ける愛知(philosophia)と信仰(pistis)──プラトンの『ソクラテスの
    弁明』を中心に」、『相模工業大学紀要』第11巻第1号、1977年3月、61-75ページ
栗原史郎「ソクラテスと道徳的なよさ──『ソクラテスの弁明』30b2-4」
    『倫理学年報』第30集、1981年、3-14ページ
小林一郎「人間と市民(1)──『アポロギア』解釈の試み」
    『東北大学教養部紀要』第49号、1988年12月、1-21ページ
篠崎栄「倫理の正当化に関する1つの差異──『ソクラテスの弁明』と『ゴルギアス』」
    『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第23号、1988年、154-147ページ
清水哲郎「魂の配慮としての哲学──『ソクラテスの弁明』が提示すること」
    東北大『思索』第28号、1995年、1-17ページ
杉田正樹「『ソクラテスの弁明』小考──ソクラテスの「神託探究」」
    『関東学院大学文学部紀要』第56巻、1989年、63-87ページ
高館作夫「ソクラテスの死(1)──『アポロギア』篇を中心にして」
    『郡山女子大学紀要』第14集、1978年、89-102ページ
高館作夫「ソクラテスの死(2)──『弁明』篇19a-22eを中心として」
    『郡山女子大学紀要』第15集、1979年、55-69ページ
田島孝「『ソクラテスの弁明』解釈試論」
    東洋大『白山哲学』第23号、1989年、76-107ページ
田村皖司「「教育原理」教育の7段階指導法(中)──「ソクラテスの弁明」による「教育原理」入門
    のための面接指導」、『杉野女子大学紀要』第15号、1978年、(20)-(41)ページ
中西裕一「プラトン初期対話篇研究(1)──Apologia SocratisCrito
    日本大『精神科学』第32号、1993年、99-113ページ
永野春男「ソクラテスにおける死生と不死──プラトン『アポロギア』の1考察」
    大谷大『哲学論集』第22号、1975年、65-77ページ
村田剛一「「ソクラテスが自らを配置している場所」に関する1考察──プラトン『ソクラテスの弁明』
    篇に於ける」、『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第29号、1994年、1-22ページ
米沢茂「ソクラテスと徳の教育──『ソクラテスの弁明』を中心として」
    『古代哲学研究』第25号、1993年、12-23ページ
八木雄二「『ソクラテスの弁明』について」
    『多摩芸術学園紀要』第11巻、1985年、30-47ページ

(b) 『クリトン』
岩田靖夫「ソクラテスの正義──『クリトン』篇の根底にあるもの」
    阿南成一他『自然法と実践知』創文社、1994年、57-85ページ
    岩田『ソクラテス』、141-168ページ
上田徹「ホモロギアーの知としての法(ノモス)──『クリトン』篇解釈」
    『哲学』第44号、1994年4月、156-165ページ
内山勝利「ノモスとロゴス──『クリトン』のソクラテスを中心に」
    『西洋古典学研究』第29号、1981年、41-52ページ
岡部勉「行為の真と善──記述の真と評価の真」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、23-42ページ
金子佳司「『クリトン』における<同意>(homologia)について──dikaia onta (49e)の解釈を中心に」
    日本大『ACADEMEIA』第3号、1987年3月、39-45ページ
金子佳司「『クリトン』のソクラテス──ウッズリーの解釈について」
    日本大『精神科学』第28号、1989年、53-61ページ
兼子盾夫「ソクラテスに於ける法(nomos)と正義(dikaiosune)──プラトンの『クリトン』を中心に」
    『相模工業大学紀要』第13巻第1号、1979年3月、81-90ページ
近藤嘉昭「ロゴスの政治思想──プラトン『クリトン』の意味するもの(序)」
    九州大『政治研究』第30号、1983年、1-34ページ
塩出彰「ソクラテスにおける国家と神──プラトン『クリトン』46b sqq.」
    大阪市立大『人文研究』研究』研究』第35巻第8分冊、1983年、1-17ページ
真方忠道「一粒の麦──『クリトン』考(上)」
    『神戸大学文学部紀要』第18号、1991年、1-23ページ
真方忠道「一粒の麦──『クリトン』考(中)」
    『神戸大学文学部紀要』第19号、1992年、1-20ページ
吉田雅章「正義と聴従──プラトン『クリトン』研究(1)」
    『長崎大学教養部紀要 人文』第22巻第2号、1982年2月、1-13ページ
吉田雅章「正義と聴従──プラトン『クリトン』研究(2)」
    『長崎大学教養部紀要 人文』第23巻第1号、1982年7月、27-52ページ
米沢茂「移行期対話篇としての『クリトン』」
    神戸大『愛知』第10号、1993年、(26)-(42)ページ

(c) 『エウテュプロン』
金子佳司「<ソクラテス的問い>に関する1考察──『エウテュプロン』に即して」
    日本大『精神科学』第23号、1984年、67-76ページ
坂本知宏「『エウテュプロン』におけるソクラテスの探求」
    神戸大『愛知』第5号、1988年、84-94ページ
仲川章「「何であるか」の問の意味──プラトン『エウテュプロン』」
    『関西哲学会紀要』第23冊、1988年、45-51ページ
東谷孝一「「敬虔とは何であるのか」の問いをめぐって──プラトン『エウテュプロン』」
    九州大『哲学論文集』第27輯、1991年、59-77ページ
真方忠道「神々をも越えるもの──『エウテュプロン』への1考察」
    『神戸大学文化学年報』第8号、1989年、1-18ページ
増田栄「「よく生きる知」への序章──プラトンの『エウチュプロン』における「敬虔とは何か」の問」
    『福岡女学院短大紀要』第25号、1989年、13-24ページ
水崎博明「トリウィアーリア(3)──プラトン『エウテュプロン』5b4-5及び10d2の読み方の問題」
    『福岡大学人文論叢』第24巻第2号、1992年10月、343-363ページ
水崎博明「トリウィアーリア(4)──opseloz(「増し」)という言葉の構文法、或いはプラトン『エウ
    テュプロン』4e9の読み方」、『福岡大学人文論叢』第25巻第1号、1993年6月、211-249ページ

(d) 『ラケス』
岩隈敏「アレテー(徳)と時間的なもの──プラトンの『ラケス』について」
    『福岡大学総合研究所報』第69号、1983年12月、1-15ページ
加藤信朗「徳とは何であるかの問について──『ラケス』篇の場合」
    東京都立大『人文学報』第188号、1987年3月、63-129ページ
    加藤『初期プラトン哲学』、137-190ページ
小林信行「『ラケス』研究──その構図」
    『福岡大学人文論叢』第22巻第4号、1991年3月、923-935ページ
田島孝「プラトン『ラケス』篇の問題」
    東洋大『白山哲学』第29号、1995年、18-44ページ
長友敬一「知への道のり──『ラケス』篇の考察」
    『哲学』第46号、1995年10月、21-30ページ
森俊洋「ソクラテスの探究と方法(1)──『ラケス』篇研究」
    九州大『テオリア』第29輯、1986年9月、1-32ページ
脇條靖弘「プラトン『ラケス』197e-199eをめぐって──Vlastos、 Penner、 Devereuxの解釈の検討」
    『山口大学哲学研究』第4巻、1995年、65-85ページ

(e) 『リュシス』
阿部貴美「『リュシス』における友愛(philia)論」
    法政大『哲学年誌』第27号、1995年、1-21ページ
川島公司「『リュシス』篇における「友」の予備的考察」
    『西洋古典研究会論集』第2号、1992年、1-14ページ
向坂寛「ソクラテスの定義──プラトンの初期対話篇、特に『リュシス』を中心として」
    日本大『精神科学』第17号、1978年、31-43ページ
武宮諦「「親愛」(ton philon)について──Platon、 Lysis 220b sqq.」
    『山口大学文学会志』第29号、1978年、63-79ページ
田中伸司「プラトン『リュシス』篇の秘められたアポリア──ソクラテスの対話による論駁の不成立に
    ついて」、『倫理学年報』第39集、1990年、3-18ページ
田中伸司「プラトン『リュシス』篇の構造」
    『北海道大学文学部紀要』第40巻第1号、1991年11月、1-64ページ
内藤純郎「プラトン『リュシス』の構成について(1)」
    『横浜市立大学論叢 人文』第45巻第3号、1994年3月、21-31ページ
中村一彦「「善のイデア」へのアプローチ──proton philon (Lysis 219d1)を介して」
    『西洋古典学研究』第23号、1975年、30-40ページ
箕浦恵了「プラトン『リュシス』の友愛観」
    『大谷学報』第58巻第1号、1978年6月、11-24ページ
脇條靖弘「プラトン『リュシス』における利己的な愛」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第1号、1992年2月、14-26ページ

(f) 『カルミデス』『アルキビアデス』
岩間秀幸「ソクラテスにおける自己知の構造とその課題──プラトン『カルミデス』、『アルキビア
    デスI』を典拠として」、『国学院大学栃木短大紀要』第19号、1985年、43-56ページ
奥貞二「「自分自身に気をつけること」と「自分のことに気をつけること」──Alcibiades 1、 124e-」
    『鈴鹿工専紀要』第19巻第1号、1986年3月、1-8ページ
加藤信朗「知と不知への関はり──『カルミデス』篇における知の問題」
    『理想』第601号、1983年6月、2-43ページ、加藤『初期プラトン哲学』、99-135ページ
新名規明「「知の知」と「善悪の知」──プラトン『カルミデス』考」
    九州大『哲学論文集』第14輯、1978年、19-32ページ
千田雅士「プラトン『カルミデス』における自知──自己の知・知の知・無知の知(上)」
    東洋大『白山哲学』第16号、1982年、100-118ページ
千田雅士「プラトン『カルミデス』における自知──自己の知・知の知・無知の知(中)」
    東洋大『白山哲学』第17号、1983年、100-112ページ
千田雅士「プラトン『カルミデス』における自知──自己の知・知の知・無知の知(下)」
    東洋大『白山哲学』第18号、1984年、129-146ページ
田島孝「自己意識と自己認識──プラトン『カルミデス』篇の問題」
    東洋大『白山哲学』第26号、1992年、19-42ページ
中澤務「プラトンの『カルミデス』における「知識の知識」と「思慮」」
    北海道大『哲学』第27号、1991年、1-20ページ
水崎博明「アポロンの挨拶──あるいはプラトン『カルミデス』164adの解釈からあゆみ始めるとき
    について」、『福岡大学研究所報』第30号、1977年8月、27-42ページ
水崎博明「アポロンの挨拶(再考)──あるいはプラトン『カルミデス』164adの解釈からあゆみ始め
    るときについて」、『福岡大学人文論叢』第23巻第3号、1991年12月、879-933ページ

(g) 『小ヒッピアス』『大ヒッピアス』
小沢克彦「「美しい」ということ──プラトン『大ヒッピアス』篇の考察」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第30号、1982年、16-59ページ
小沢克彦「「偽りの人」と「よき人」──プラトン『小ヒッピアス』篇の問題」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第31号、1983年、54-70ページ
加藤素明「プラトンにおける<美>のself-predicationについて──『ヒッピアス(大)』292e6-7」
    『美学』第45巻第4号、1995年3月、12-22ページ
清水哲郎「ソクラテスのオデュッセイア──『ヒッピアス(小)』の複層構造」
    北海道大『哲学』第24号、1988年、1-21ページ
田中亨英「美しい乙女──プラトン『ヒッピアス(大)』286c-289c」
    『哲学雑誌』第93巻第765号、1978年、118-135ページ
長友敬一「プラトン『ヒッピアス(小)』篇の問題場面」
    九州大『ディアロゴス』第1号、1988年、45-63ページ
樋口努「<美>の定義──プラトン『ヒッピアス(大)』の場合」
    『古代哲学研究』第21号、1989年、11-19ページ
藤沢郁夫「行為の始まり(アルケー)について──プラトン『ヒッピアス(小)』考」
    『北海道大学文学部紀要』第33巻第2号、1985年1月、1-75ページ
吉田雅章「「デュナミス」をめぐる、ひとつの考察──プラトン『ヒッピアス(小)』の問題」
    『長崎大学教養部紀要 人文』第20巻第2号、1980年1月、1-15ページ

(h) 『イオン』『メネクセノス』
栗花落和彦「ゲーテにおける宗教と芸術──プラトンの初期対話篇《イオン》を巡って」
    『島根医科大学紀要』第17巻、1994年、1-20ページ
中澤務「プラトン『イオン』における吟誦詩人批判」
    科学研究費報告『古典期アテナイ文化の総合的把握──哲学と文学、及びその歴史的背景』
    1994年、188-202ページ
藤沢郁夫「プラトンのエピタフィオス・ロゴス」
    東北大『思索』第28号、1995年、127-142ページ

(i) 『プロタゴラス』
上田慎一「『プロタゴラス』の勇気論──特にその結尾部分(359a-)に即して」
    筑波大『哲学・思想論叢』第13号、1995年、19-29ページ
岡部勉「『プロタゴラス』篇に於ける行為と副詞の問題」
    『西洋古典学研究』第40号、1992年、33-43ページ
小川隆雄「『プロタゴラス』におけるソクラテスのパラドクス」
    『古代哲学研究』第10号、1978年、11-21ページ
加藤信朗「行為の根拠について(Iのi)
    ──『ニコマコス倫理学』第7巻のアクラシアの説および『プロタゴラス』篇の快楽説に即して」
    東京都立大『人文学報』第161号、1983年3月、125-165ページ
加藤守通「聞くことと問うこと──『プロタゴラス』の1解釈」
    『教育思想』特別号、1993年、75-83ページ
久保徹「プラトンの初期善欲求説──『メノン』『プロタゴラス』を中心に」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第3号、1994年11月、1-14ページ
小林信行「徳の顔──プラトン『プロタゴラス』(329b ff.)研究」
    『福岡大学人文論叢』第22巻第3号、1991年1月、577-595ページ
新海邦治「プラトンのmetretikeについて」
    『日本女子大学文学部紀要』第26号、1976年、81-88ページ
高館作夫「プラトンの教育思想(1)──『プラタゴラス』篇を中心に」
    『郡山女子大学紀要』第27集、1991年、139-151ページ
高橋憲雄「『プロタゴラス』篇に於ける所謂快楽主義についての1考察」
    『古代哲学研究』第11号、1979年、9-15ページ
武宮諦「行為と知に関する若干の問題──『プロタゴラス』に即して」
    『山口大学文学会志』第43号、1992年12月、1-19ページ
田中伸司「ソクラテスの知恵とソフィストの知恵──『プロタゴラス』篇におけるシモニデスの詩を
    めぐる議論」、『北海道大学文学部紀要』第37巻第1号、1988年11月、89-111ページ
中澤務「プラトン『プロタゴラス』における勇気と智恵」
    『北海道大学文学部紀要』第43巻第3号、1995年3月、81-108ページ
長友敬一「徳の一性をめぐる問題──『プロタゴラス』篇に即して」
    九州大『哲学論文集』第30輯、1994年、41-58ページ
野村邦彦「ソクラテスと、プラトンの『プロタゴラス』における快楽説」
    九州大『哲学論文集』第20輯、1984年、65-85ページ
朴一功「メトレーティケー・テクネー」
    『古代哲学研究』第26号、1994年、1-15ページ
東谷孝一「徳と知の関わり──プラトン『プロタゴラス』篇試論」
    九州大『哲学論文集』第30輯、1994年、23-40ページ
真方忠道「プロタゴラスvs.プラトン──『プロタゴラス』対話篇において」
    『神戸大学文学部紀要』第11号、1984年、23-47ページ
真方忠道「プロタゴラスvs.プラトン(承前)──『プロタゴラス』対話篇において」
    『神戸大学文学部紀要』第12号、1985年、1-21ページ
丸橋裕「行為のアイティアーについて──プラトンの『プロタゴラス』と『国家』をつなぐもの」
    『西洋古典学研究』第42号、1994年、36-46ページ
山本建郎「『プロータゴラース』編におけるシモーニデース詩の評釈について──古代ギリシア精神
    史の1断面」、『秋田大学総合基礎教育研究紀要』第2集、1995年、58-66ページ
山本建郎「『プロータゴラース』編試論──価値理念の歴史性と哲学の表現にかんする1考察」
    『秋田大学教育学部研究紀要 人文・社会』第48集、1995年、1-12ページ
和田義浩「プラトン『プロタゴラス』篇における「快楽主義的前提」をめぐって」
    早稲田大『フィロソフィア』第83号、1995年、100-88ページ

(j) 『メノン』
伊集院利明「『メノン』篇における不知と初期対話篇」
    『工学院大学共通課程研究論叢』第32号、1994年、157-145ページ
伊集院利明「『メノン』篇における論駁法とソクラテスの知」
    『倫理学年報』第44集、1995年、3-18ページ
伊東斌「メノンの問い──プラトンの教育論瞥見」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第35巻第1部、1985年、1-9ページ
上田徹「『メノン』篇における想起(アナムネーシス)の論理──『メノン』篇での幾何学的証明の
    解釈について」、『筑波哲学』第6号、1995年、49-64ページ
上田徹「パラドクスの論理──『メノン』篇における知識の問題」
    筑波大『哲学・思想論叢』第11号、1993年、15-26ページ
大久保正雄「魂の卓越性の要求 想起説の構造と難問の仕組み(Plato Meno 81a10-86c2)」
    『東京法科学院論集』第5号、1991年12月、87-113ページ
小沢克彦「『メノン』篇に於ける想起説と「正しい思惑」の概念をめぐる1考察」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第43巻第2号、1995年3月、47-65ページ
角田幸彦「プラトン『メノン』における徳について」
    『明治大学教養論集』第114号、1978年2月、43-54ページ
加藤信朗「プラトンの知識論、『メノン』篇の想起説」
    上智大中世思想研究所編『教育思想史I ギリシア・ローマの教育思想』東洋館出版社
    1984年、143-170ページ、加藤『初期プラトン哲学』、191-210ページ
神崎繁「知と不知の間──『メノーン』における探究のパラドクス」
    『哲学雑誌』第95巻第767号、1980年、127-145ページ
桑名晏子「『メノン』が解く知識のしくみ」
    『KATHARSIS』第1号、1984年1月、1-48ページ
小池澄夫「想起説の導入状況──『メノン』の場合」
    『古代哲学研究』第9号、1977年、12-20ページ
佐藤昭子「プラトン研究──『メノン』における探求(zetein)」
    学習院大『哲学会誌』第14号、1990年、51-63ページ
塩出彰「プラトン『メノン』および『パイドン』における想起について」
    大阪市立大『人文研究』研究』研究』第36巻第4分冊、1984年、19-34ページ
千田雅士「『メノン』におけるパラドクスと想起」
    『東洋大学大学院紀要』第15集、1978年、17-31ページ
高橋久一郎「神話と対話──『メノン』における想起説の意義」
    東京大哲学研究室『論集』第2号、1983年、136-148ページ
田島孝「「伝えられたものと伝えられないもの」──『メノン』の場合」
    東洋大『白山哲学』第24号、1990年、15-38ページ
筒井明子「『メノン』篇に於ける「想起説」についての一考察──「探究のパラドックス」との関係で」
    『西日本哲学年報』第3号、1995年、47-59ページ
鶴岡健「プラトンの学知論──『メノン』における想起」
    法政大『哲学年誌』第24号、1992年、165-178ページ
長友敬一「ヒュポテシス、あるいは想起説の逆照射──プラトン『メノン』篇への探究序説」
    九州大『哲学論文集』第26輯、1990年、21-40ページ
中畑正志「プラトンにおける知識とドクサ──『メノン』での認識論分析」
    『理想』第633号 、1986年2-3月、213-222ページ
浜崎盛康「プラトンの『メノン』における帰納法、探究不可能論、想起説」
    琉球大『哲学論集』第12号、1991年、37-61ページ
増田栄「プラトンの「徳とは何か」の問いについての1考察──Menon 70a-79aを中心にして」
    『福岡女学院短大紀要』第21号、1985年、31-40ページ
増田栄「プラトンの『メノン』における想起説への覚え書──81c-86cを中心にして」
    『福岡女学院短大紀要』第22号、1986年、16-28ページ
和田義浩「プラトン『メノン』における「hupothesis」について」
    『西洋古典研究会論集』第2号、1992年、15-28ページ

(k) 『エウテュデモス』
塩出彰「プラトン『エウテュデモス』のプロトレプティコス・ロゴスにおける「知」について」
    大阪市立大『人文研究』研究』研究』第45巻第3分冊、1993年、51-65ページ
新島龍美「『エウテュデーモス』篇の問題──「有益性」と「使用」」
    『西洋古典学研究』第41号 、1993年、36-47ページ
東谷孝一「「所有の生」から「使用の生」へ──『エウチュデモス』篇におけるプロトレプティコス・
    ロゴス」、『古代哲学研究』第25号、1993年、24-34ページ
箕浦恵了「プラトン『エウテュデモス』におけるプロトレプティコス・ロゴスとエリスティケー」
    『大谷学報』第63巻第1号、1983年6月、14-31ページ

(l) 『ゴルギアス』
安齋隆「ソクラテスの逆説に就て──『ゴルギアス』篇第2部の検討」
    東京都立大『哲学誌』第34号、1992年、71-92ページ
梅沢馨「プラトン『ゴルギアス』篇における弁論術批判と批判根拠について」
    哲学同人誌『441』第4号、1981年2月、49-54ページ
小笠原正薫「『ゴルギアス』における徳をめぐって(1)」
    『桜の聖母短大紀要』第9号、1984年、117-127ページ
岡部勉「Gorgias 467c5-468c8」
    『古代哲学研究』第22号、1990年、23-30ページ
小沢克彦「「美」と「善」──プラトン『ゴルギアス』篇に於ける「ポロスとの対話」をめぐって」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第29号、1981年、1-20ページ
川田親之「プラトン『ゴルギアス』の全体に通底しているもの」
    『千葉大学教育学部研究紀要 第1部』第42巻、1994年、213-238ページ
川田親之「カリクレス対ソクラテス──快楽主義(現実)対最善主義(真実)」
    『千葉大学教育学部研究紀要 人文・社会』第43巻、1995年、13-34ページ
久保徹「善への欲望──プラトン『ゴルギアス』の思想圏から」
    『古代哲学研究』第19号、1987年、24-34ページ
小林信行「「いまあること」と「これからのこと」──プラトン『ゴルギアス』研究」
    『福岡大学人文論叢』第11巻第4号、1980年3月、1107-1127ページ
坂本知宏「ソクラテスとカリクレス──エレンコスと恥」
    『アルケー・関西哲学会年報』第2号、1994年、53-62ページ
高橋憲雄「『ゴルギアス』篇の政治術」
    広島大『地域文化研究』第15巻、1989年、155-178ページ
田中伸司「ソクラテスの対話による論駁法と生き方の原理──『ゴルギアス』474c-475c」
    北海道大『哲学』第23号、1987年、41-57ページ
出村和彦「ソクラテスの正義の知識──Gorgias 460a-c」
    東京都立大『哲学誌』第28号、1986年、89-110ページ
出村和彦「『ゴルギアス』篇における価値の構造についての1考察」
    『倫理学年報』第36集、1987年、3-18ページ
浜崎盛康「ソクラテスの「徳は知である」──『ゴルギアス』の「正しいことを学んだ人は正しい人
    である」をめぐって」、琉球大『哲学論集』第15号、1994年、37-63ページ
箕浦恵了「プラトン『ゴルギアス』の雄弁術とその批判」
    大谷大『哲学論集』第27号、1980年、34-46ページ
村上学「行為者が望んでいるのは何か──プラトン『ゴルギアス』467c-468eでのパラドックスについて」
    九州大『ディアロゴス』第6号、1993年、15-27ページ
吉田雅章「快楽主義と技術知──プラトン『ゴルギアス』篇の「アレテー論」への序章」
    『長崎大学教養部紀要 人文』第32巻第2号、1992年1月、1-15ページ
吉田雅章「不正とポロス──Gorgias 474c4-475e6のエレンコスの語るもの」
    『古代哲学研究』第24号、1992年、1-11ページ
吉田雅章「プラトン『ゴルギアス』篇の「正義」探究」
    九州大『哲学論文集』第29輯、1993年、21-40ページ
吉田雅章「正義と知──プラトン『ゴルギアス』篇第1部の問題」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、43-60ページ
米沢茂「『ゴルギアス』におけるソクラテスのポーロス反駁──不正な幸福者の問題をめぐって」
    『北九州大学外国語学部紀要』第61号、1987年11月、185-204ページ
渡辺雅弘「英雄主義と権力(1)──カリクレスの場合」
    京都大『法学論叢』第115巻第6号、1984年9月、80-103ページ
渡辺雅弘「英雄主義と権力(2完)──カリクレスの場合」
    京都大『法学論叢』第117巻第2号、1985年5月、58-103ページ

(m) 『パイドン』
伊集院利明「「第二の航海」とソクラテスの哲学」
    『哲学』第43号、1993年4月、100-111ページ
今泉智之「『パイドン』におけるアイティアーの問題」
    東北大『思索』第25号、1992年、27-47ページ
今泉智之「「知性」とイデア──アナクサゴラスとプラトンの関係」
    東北大『文化』第58巻第1-2号、1994年9月、19-35ページ
大久保正雄「Phaedo 100b3-107b9 イデアと魂」
    北海道大『哲学』第20-21号、1985年、249-269ページ
大久保正雄「彷徨えるソクラテス 根拠の探求 Plato Phaedo 95e7-100b3」
    『東京法科学院論集』第3号、1989年12月、50-85ページ
大坪一裕「ソクラテスの「魂」について──プラトーンの『パイド−ン』」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第20号II、1993年12月、41-49ページ
大貫隆「古代文学における「訣別の辞」──『ヨハネ福音書』と『パイドン』を中心に」
    『西洋古典学研究』第29号、1981年、97-108ページ
奥田和夫「プラトン『パイドン』におけるイデア原因論と魂不死論証(102a-105e)」
    『西洋古典研究会論集』第1号、1990年、29-43ページ
加藤幸夫「『パイドン』における想起説」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第1号、1987年、31-46ページ
加藤幸夫「魂の不死証明とイデア──『パイドン』解釈のための1考察」
    『長岡技術科学大学 言語・人文科学論集』第2号、1988年、19-33ページ
角谷博「『パイドン』における死の定義について」
    『古代哲学研究』第14号、1982年、9-15ページ
金山弥平「『パイドン』に於ける最後の魂の不死証明──魂の生についての1考察」
    『古代哲学研究』第11号、1979年、16-24ページ
河井真「「プシューケー」について──プラトン『パイドン』から」
    『兵庫教育大学研究紀要』第11巻第2分冊、1991年、113-126ページ
川島清吉「プラトンの『パイドン』における宗教思想の源流──『ヴェーダ』より「アカデメイア」
    まで(1)」、『大阪薫英女子短大研究報告』第13号、1978年、1-18ページ
川島清吉「ピュタゴラス教団とプラトンの「アカデメイア」の宗教性──『ヴェーダ』より「アカデ
    メイア」まで(2)」、『大阪薫英女子短大研究報告』第14号、1979年、1-17ページ
栗原裕次「「学び=想起」の二義性と感覚の問題──『パイドン』篇アナムネーシス論(72e-77a)
    の1考察」、東京都立大『哲学誌』第33号、1991年、81-104ページ
小池澄夫「「消滅」概念を中心とする1つの整理──『パイドン』の魂不死論証の周辺」
    『古代哲学研究』第7号、1975年、11-19ページ
坂本知宏「プラトンの想起説『パイドン』74a9-75c6」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第26号、1991年、1-8ページ
篠崎栄「ソクラテスの「第2の航海」」
    『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第15号、1980年、156-143ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、102-132ページ
篠崎栄「『パイドン』102a-107b」
    『理想』第570号、1980年11月、71-85ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、152-174ページ
篠崎栄「『パイドン』99e-100aのロゴスについて」
    『西洋古典学研究』第29号、1981年、53-63ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、133-151ページ
新海邦治「ヌース説批判について」
    『日本女子大学紀要 人文・社会』第3号、1993年、183-189ページ
瀬口昌久「プラトン『パイドン』における生と知の原理──心身問題前哨」
    『古代哲学研究』第18号、1986年、13-23ページ
高館作夫「プラトン『パイドン』篇についての1考察」
    『郡山女子大学紀要』第18集、1982年、129-140ページ
田島孝「アレゴリアとしての魂──『パイドン』に於る「魂の不滅」の意味について」
    東洋大『白山哲学』第21号、1987年、33-51ページ
田中今日子「『パイドン』における想起説について」
    『古代哲学研究』第17号、1985年、41-48ページ
田中康照「プラトン『パイドン』の想起説と<等>のイデア」
    『古代哲学研究』第21号、1989年、20-29ページ
戸塚七郎「『パイドン』最終議論(102a-107a)の1解釈(1)」
    『愛知大学文学論叢』第88号、1988年6月、1-24ページ
戸塚七郎「『パイドン』最終議論(102a-107a)の1解釈(2)」
    『愛知大学文学論叢』第89号、1988年12月、1-30ページ
中畑正志「『パイドン』におけるアイティアーとしてのイデア」
    『古代哲学研究』第12号 、1980年、12-22ページ
中畑正志「相反する現われ──イデア論生成へのプラトンの1視点」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、81-100ページ
浜崎盛康「プラトンの『パイドン』におけるロゴス、論理、イデア認識」
    琉球大『哲学論集』第10号、1989年、27-54ページ
浜崎盛康「『パイドン』における想起以前の知」
    琉球大『哲学論集』第11号、1990年、53-76ページ
東千尋「プラトンの逡巡──PhaedoSymposiumのあいだ」
    『国学院雑誌』第84巻第1号、1983年1月、82-92ページ
平野陽一「『パイドン』99cにおけるdeuteros plousについて──「魂のめまい」との関連を中心に」
    東海大『文明研究』第6号 、1987年、(15)-(25)ページ
K. ブドゥリス(山川偉也訳)「ソクラテスと死──あるいはプラトン『パイドン』篇における「死の
    練習」」山川偉也編『人間──その生死の位相』世界思想社、1988年、179-193ページ
フランシスコ・ペレス「死後への希望とその根拠──『パイドン』に描かれるソクラテスの最後」
    上智大『哲学科紀要』第9号、1983年、43-88ページ
増田栄「プラトンにおける「知」の確立について(1)──Phaidon 97c-102aを中心として」
    『福岡女学院短大紀要』第12号、1976年、(1)-(12)ページ
箕浦恵了「ソクラテスと学──プラトン『パイドン』を中心に」
    『大谷大学研究年報』第28集、1975年、43-82ページ
箕浦恵了「ソクラテスの自然学批判」
    『大谷学報』第56巻第4号、1977年2月、64-67ページ
山下弘一郎「Phaedoにおけるイデア論──自己述語仮定への1視座」
    日本大『ACADEMEIA』第1号、1980年3月、35-49ページ
山田道夫「イデアの学習について──『パイドン』の想起説から」
    『古代哲学研究』第8号、1976年、10-18ページ
山本吉信「死と死を越えるもの(1)──プラトン『パイドン』理解のために」
    『千葉敬愛短大研究紀要』第8号、1986年、21-30ページ
吉田昌市「魂の不死について──『パイドン』の最終証明」
    『徳島大学教養部紀要 人文社会』第17巻、1982年、169-180ページ
吉田昌市「『パイドン』104c-105eへのノート(不死証明再論)」
    『徳島大学教養部紀要 人文社会』第20巻、1985年、23-32ページ
吉田昌市「プラトン『パイドン』における魂の不死について──最終証明から出発しての1考察」
    『徳島大学教養部紀要 人文社会』第26巻、1991年、23-44ページ
米沢茂「美しいものは美のイデアによって美しいか──『パイドン』の所謂イデア原因説について」
    『北九州大学外国語学部紀要』第55号、1985年7月、65-81ページ
渡辺邦夫「言表の真とイデア定立──『パイドン』99d-100c」
    『哲学』第32号、1982年、83-93ページ
渡辺範征「浄化 希望 愛知──プラトン『パイドン』におけるソクラテスへの私論」
    大谷大『哲学論集』第24号、1977年、42-53ページ

(n) 『饗宴』
安齋隆「『饗宴』篇に於ける幸福と美」
    東京都立大『哲学誌』第35号、1993年、63-83ページ
伊東斌「エローティカ・プラトニカ──『饗宴』に於ける「エロース」と「善」」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第27巻第1部、1977年、1-14ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、117-141ページ
浦松佐美太郎「プラトン『饗宴』(旧著再続)」
    『海』第8巻第2号、1976年2月、174-179ページ
岡部勉「プラトン『饗宴』──「こころ」について」
    熊本大『文学部論叢』第14号、1985年3月、51-67ページ
小沢克彦「美の位相──プラトン『饗宴』篇の「美に於る出産」の論をめぐって」
    『岐阜大学教育学部研究報告 人文』第28号、1980年、14-35ページ
小野木芳伸「死すべき者にとっての不死──プラトン『饗宴』に於けるエロース観」
    『哲学』第46号、1995年10月、11-20ページ
角田幸彦「プラトン・『シンポジウム』篇におけるエロースの問題──アガトン、ソクラテス、アルキ
    ビアデスの語りを巡って」、『明治大学教養論集』第105号、1976年12月、47-76ページ
川田殖「プラトンの『饗宴』について」
    『古典共同研究会論集』、1980年、1-39ページ
木下昌巳「エロスと美と善──プラトン『饗宴』のエロス論」
    『アルケー・関西哲学会年報』第1号、1993年、21-30ページ
久保徹「プラトン『饗宴』におけるエロースの上昇」
    『アルケー・関西哲学会年報』第3号、1995年、55-65ページ
小林信行「美と道徳──プラトン『饗宴』の場合」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、61-80ページ
佐藤三郎「プラトンにおける対話の構造と意味──Symposionの対話過程の分析を中心として」
    『筑波大学教育学系論集』第1巻、1977年、19-37ページ
杉田正樹「エロスの論理──プラトン『饗宴』の1解釈」
    『関東学院大学文学部紀要』第65巻、1992年、104-74ページ
浜下昌宏「Praefatio ad Platonis Symposium──あるいは導入のロジック/レトリックについて」
    『神戸女学院大学論集』第36巻第1号、1989年7月、81-91ページ
浜田ひろ子「創作と美──プラトンの『饗宴』篇の構成をめぐる試論」
    九州大『哲学論文集』第19輯、1983年、31-45ページ
丸橋裕「愛、知性及び自由(続)──amor Platonicusの真実とその再生へ向けて」
    『理想』第655号、1995年5月、173-185ページ
水崎博明「プラトンの『饗宴』(1)──パイドロス演説」
    『福岡大学人文論叢』第9巻第1号、1977年6月、181-216ページ
水崎博明「プラトンの『饗宴』(2)──パウサニアス演説(1)」
    『福岡大学人文論叢』第10巻第1号、1978年6月、295-338ページ
水崎博明「プラトンの『饗宴』(3)──パウサニアス演説(2)」
    『福岡大学人文論叢』第12巻第3号、1980年12月、971-1011ページ
森進一「プラトン『饗宴』を読む」
    増進会出版社『Serio』1993年4月号〜9月号連載
山内友三郎「プラトンのエロース論に対する倫理学的考察」
    『大阪教育大学紀要 人文』第26巻第3号、1978年3月、133-144ページ

(o) 『パイドロス』
尼ケ崎紀久子「プラトン『パイドロス』に於けるレートリケーの問題」
    『美学』第138号、1984年9月、25-36ページ
井口正俊「「城壁の外へ」──プラトン『パイドロス』篇を読み解く(1)」
    『西南学院大学国際文化論集』第8巻第1号、1993年7月、159-182ページ
井口正俊「セイレーンの歌声−美しき雑音──プラトンの『パイドロス』篇を読み解く(2)」
    『西南学院大学国際文化論集』第8巻第2号、1994年2月、259-275ページ
伊集院利明「『パイドロス』篇におけるディアレクティケーとプラトン哲学の転換点」
    『哲学雑誌』第108巻第780号、1993年、143-160ページ
一色裕「プラトーン『パイドロス』242b8-d2に対する註解」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第5号、1986年、53-61ページ
一色裕「ソークラテースにおける内的予言の構造について──『パイドロス』242b8-d2を手掛かりにして」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第7号、1988年、91-104ページ
一色裕「『パイドロス』篇の主題的統一性について──思慮の徳と魂の美の問題を中心に」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第8号、1989年、57-75ページ
角田幸彦「プラトン・『パイドロス』篇の魂論」
    『明治大学教養論集』第97号、1975年12月、25-42ページ
鎌田雅年「動の始源と不死性──プラトン『パイドロス』245c8-e2」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第3号、1994年11月、15-22ページ
川島公司「『パイドロス』におけるプラトンの「ロゴス」」
    日本大『精神科学』第25号、1986年、241-255ページ
小林亜津子「『パイドロス』篇における恋い(eros)に関する1考察」
    法政大『哲学年誌』第26号、1994年、57-71ページ
白根裕里枝「プラトンにおける魂不死のミュートスとイデア──『パイドロス』(245c-253c)を
    中心として」、『法政大学大学院紀要』第27号、1991年、1-17ページ
関口正雄「ピュシスの探究とディアレクティケー──Platon: Phaedrus 269e-272b」
    東京都立大『哲学誌』第26号、1984年、91-113ページ
津上英輔「プラトーン『パイドロス』243d6 ex ton homoionについて」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第4号、1985年、85-90ページ
ジャック・デリダ(高橋允昭訳)「プラトンのパルマケイアー」
    『現代思想』第3巻第3号、1975年3月、103-115ページ
広川洋一「プラトンの技術・学知について──『パイドロス』270cの解釈を支点として」
    『理想』第570号、1980年11月、29-44ページ
藤田一美「Phaedrus 249b6-c1、特にsunieinai kat eidosに就いて」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第26号、1976年2月、1-24ページ
フランシスコ・ペレス「プラトンのエロス論について──『パイドロス』を中心に」
    上智大『カトリック研究』第31号、1977年6月、95-120ページ
増田栄「プラトンの『パイドロス』研究(1)──魂のfallとoriginal fall論争について」
    『福岡女学院短大紀要』第20号、1984年、31-42ページ
山口拓夢「思想のトポロジー、パイドロス篇の構造とその背後に潜むもの」
    学習院大『人文科学論集』第3号、1994年、1-15ページ

(pa) 『国家』篇第1巻〜第4巻
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(1)」、『順正短大研究紀要』第19号、1990年、283-323ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(2)」、『順正短大研究紀要』第20号、1991年、273-302ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(3)」、『順正短大研究紀要』第21号、1992年、259-276ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(4)」、『順正短大研究紀要』第21号、1992年、277-296ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(5)」、『順正短大研究紀要』第22号、1993年、1-18ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(6)」、『順正短大研究紀要』第22号、1993年、19-43ページ
W. イェーガー(加計美也子・村島義彦訳)「陶冶理想としてのパイデイア──プラトンの『国家』に
    おける(7)」、『順正短大研究紀要』第23号、1994年、1-21ページ
石川裕之「プラトン『国家』における「正義と善」をめぐって」
    『東京成徳短大紀要』第8号、1975年、49-55ページ
伊集院利明「『国家』篇における正義と国家の制作」
    東京大哲学研究室『論集』第6号、1987年、200-121ページ
磯部隆「プラトン『国家』へのアプローチ(上)──神義論と政治と対話」
    『名古屋大学法政論集』第110号、1986年3月、411-458ページ
磯部隆「プラトン『国家』へのアプローチ(下)──神義論と政治と対話」
    『名古屋大学法政論集』第111号、1986年6月、303-366ページ
伊東斌「理性と欲望──プラトン『国家』436a-439e」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第24巻第1部、1975年、1-13ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、65-88ページ
今井直重「プラトンのポリテイアの教育的意義」
    『大阪経済法科大学論集』第14号、1981年9月、59-70ページ
今林万里子「プラトンの「魂3区分説」に関するノート(1)──『国家』IV 435-441」
    大阪医科大『人文研究』第12号、1981年、129-142ページ
今林万里子「プラトンの「魂3区分説」に関するノート(2)──『国家』IV 435-441」
    大阪医科大『人文研究』第13号、1982年、58-71ページ
今林(金山)万里子「プラトンの「魂3区分説」に関するノート(3)──『国家』IV 435-441」
    大阪医科大『人文研究』第16号、1985年、121-139ページ
梅沢馨「プラトン『国家』序論──全体の構成と「第1巻」について」
    法政大『哲学年誌』第10号、1977年、85-96ページ
岡部勉「プラトン『国家』──或る序説」
    熊本大『文学部論叢』第10号、1983年10月、49-79ページ
小川隆雄「神事と老齢および財産──プラトン『国家』第1巻327aから331dまで」
    『ペディラヴィウム』第17号、1983年9月、1-14ページ
小川隆雄「応報主義正義観批判──プラトン『国家』第1巻331d-336a」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第8号I、1985年12月、37-77ページ
小川隆雄「政治権力は悪であろうか?トラシュマコス君──プラトン『国家』第1巻336b-337e2」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第9号1、1986年12月、35-70ページ
小川隆雄「プラトン『国家』第1巻の成立をめぐって」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第21号、1994年8月、1-22ページ
荻野弘之「欲望の言語──プラトン『国家』第4巻における「魂の3区分」の論証」
    上智大『哲学科紀要』第19号、1993年、1-25ページ
荻野弘之「正義の外にあるもの──プラトン『国家』における「正義と幸福」の視点」
    『哲学雑誌』第109巻第781号、1994年、21-35ページ
乙訓稔「プラトンと『国家』について」
    カリタス女子短大『カリタス叢書』第13号、1978年12月、18-30ページ
角田幸彦「プラトン『国家』における正義について」
    『明治大学教養論集』第129号、1980年2月、21-40ページ
金刺亮介「プラトンの正義論──個人の正義とポリスの正義」
    『早稲田法学会誌』第28巻、1977年、145-172ページ
鎌田雅年「魂の3区分説による「節制」の説明──プラトン『国家』第4巻(430d-445e)」
    『関西哲学会紀要』第26冊、1991年、34-40ページ
木下昌巳「『国家』における正義と幸福」
    『古代哲学研究』第23号、1991年、23-32ページ
木間英子「プラトンのパイデイア・ムーシケー論──『国家』と『法律』を中心にして」
    昭和女子大『学苑』第566号、1987年2月、123-115ページ
久保徹「プラトン『国家』における魂3区分説」
    『古代哲学研究』第24号、1992年、21-37ページ
久保徹「プラトン『国家』における正義の擁護」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第2号、1993年4月、35-49ページ
栗原史郎「グラウコンの挑戦──『国家』357a1-368c7」
    『倫理学年報』第33集、1984年、3-16ページ
桑原直己「『国家』篇第1巻における「利益」の概念について」
    『哲学雑誌』第96巻第768号、1981年、198-215ページ
小林信行「国家論からの序論──あるいは「内なる国家」」
    『福岡大学総合研究所報』第91号、1987年3月、25-35ページ
篠崎栄「『国家』研究序説」
    『熊本大学教養部紀要 人文・社会』第18号、1983年、64-50ページ
    篠崎『ことばの中での探求』、184-215ページ
篠崎栄「プラトン『国家』における理性と欲望」
    『哲学雑誌』第101巻第773号、1986年、28-44ページ
柴田有「魂の分有──『国家』篇の哲学と政治」
    『明治学院大学キリスト教研究所紀要』第28号、1995年11月、5-26ページ
瀬口昌久「魂の国制と国家の徳──プラトン『国家』における人間と国家のアナロジー再考」
    『古代哲学研究』第20号、1988年、16-30ページ
瀬口昌久「ピュシスと正義論──吉田氏の反論への再応答」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第1号、1992年2月、38-48ページ
高橋幸一「Platonの『国家』における体操術」
    『山形大学紀要 教育』第10巻第1号、1990年、13-24ページ
田島孝「1つの心2つの心──『国家』と『ニコマコス倫理学』」
    東洋大『白山哲学』第19号、1985年、50-70ページ
永井健晴「政治と哲学或いはプラト−ン『ポリーテイアー』(『国家』篇)に於ける「正義」と「魂」不滅
    ──予備的考察(1)」、『大東法学』第3巻第2号、1994年3月、83-153ページ
永井健晴「政治と哲学或いはプラト−ン『ポリーテイアー』(『国家』篇)に於ける「正義」と「魂」不滅
    ──予備的考察(2)」、『大東法学』第4巻第1号、1994年9月、121-160ページ
中西裕一「キュベルネーティケー(船および国家の舵取り術)──プラトン『国家』488d-e」
    『日本大学生産工学部研究報告B文系』第22巻第1号、1989年6月、1-10ページ
中畑正志「プラトンの『国家』における<認識>の位置──魂の3区分説への序章」
    『西洋古典学研究』第40号、1992年、44-56ページ
沼田裕之「『国家』に於けるプラトン的ロゴスの普遍性について」
    『東北大学教育学部研究年報』第31集、1983年、1-48ページ
H. J. パーキンソン(北畠知量訳)「プラトンの『国家』」
    『名古屋造形芸術短大研究紀要』第6号、1983年、70-100ページ
朴一功「正義、幸福、報酬──プラトン『国家』357A-358Aの解釈を基点にして」
    『関西哲学会紀要』第19冊、1984年、40-46ページ
朴一功「プラトン『国家』における魂の正義」
    『西洋古典学研究』第36号、1988年、44-45ページ
浜崎盛康「国家の3階級と魂の3部分におけるソーフロシュネー──プラトン『国家』第4巻」
    早稲田大『フィロソフィア』第83号、1995年、47-60ページ
広川洋一「国家と魂のいわゆるアナロギアーについて──プラトンの思考のある仕方を中心に」
    『東海大学紀要 文学部』第47輯、1987年、1-10ページ
フランシスコ・ペレス「正義についての1考察──プラトンの『国家』を中心に」
    上智大『哲学科紀要』第11号、1985年、1-24ページ
フランシスコ・ペレス「正義と幸福の関係について──プラトンの『国家』を中心に」
    上智大『哲学科紀要』第12号、1986年、1-29ページ
保戸塚美歌「『国家』の正義論におけるソクラテスの課題と解答」
    『法政大学大学院紀要』第30号、1993年、1-14ページ
松永雄二「内なる正義──プラトン『国家』篇の問題」
    九州大『哲学論文集』第23輯、1987年、1-21ページ、松永『知と不知』、221-243ページ
水崎博明「『国家』の祖述」
    『福岡大学人文論叢』第17巻第3号、1985年12月、687-705ページ
水崎博明「イデアとエイドス──プラトン『国家』1巻-4巻の場合」
    『福岡大学人文論叢』第20巻第4号、1989年3月、1413-1441ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、135-159ページ
皆川美歌「ポリスと魂──そのアナロジー」
    法政大『哲学年誌』第21号、1989年、44-60ページ
村島義彦「『国家』:プラトン」
    『教育名著の愉しみ』時事通信社、1991年、13-19ページ
森泰一「魂における<内乱>──プラトン『国家』の<魂の3区分説>をめぐって」
    『関西哲学会紀要』第21冊、1986年、46-51ページ
吉田雅章「正義論と専業の原則」
    『長崎大学教養部紀要 人文』第25巻第1号、1984年7月、1-25ページ
吉田雅章「国家建設の原理──瀬口論文への応答」
    『古代哲学研究』第21号、1989年、30-37ページ
キモン・リュコス(小川隆雄訳)「トラシュマコスの正義および権力論──およびその解釈上のいくつ
    かの問題点」、『島根大学法文学部紀要 文学科』第17号I、1992年7月、65-89ページ
我妻和博「『国家』篇におけるギリシア神話の神観念批判の意図について」
    東北大『思索』第15号、1982年、57-73ページ
脇條靖弘「『国家』第1巻におけるトラシュマコスの正義論について──プラトンの対決したもの」
    『古代哲学研究』第17号、1985年、32-40ページ
脇條靖弘「プラトン『国家』第2巻における正義弁護の要求」
    『古代哲学研究』第21号、1989年、1-10ページ
脇條靖弘「“SachsのFallacy”についてのいくつかの解釈の方向」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第2号、1993年4月、50-57ページ

(pb) 『国家』篇第5巻〜第7巻
浅野幸治「哲学者と思わく愛好者──プラトン『国家』篇第5巻474c-480a」
    『東北哲学会年報』第10号、1994年、15-27ページ
浅野幸治「プラトン『国家』篇における数学の対象」
    東北大『思索』第28号、1995年、103-125ページ
伊集院利明「『国家』篇の構造と「イデア」論」
    東京大哲学研究室『論集』第7号、1988年、110-122ページ
和泉ちえ「学の対象としての立体──プラトン「線分の比喩」を中心に」
    東海大『文明研究』第8号、1989年、(1)-(9)ページ
伊東斌「プラトン、ディアレクティケー研究序説──『国家』における「数学」をめぐって」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第26巻第1部、1977年、1-13ページ
内山勝利「<線分>と<洞窟>の対応について──プラトン『国家』における3つの比喩に関する覚書 」
    科学研究費報告『ロゴス概念を軸とするヘラクレイトスおよびプラトン研究』
    1992年3月、27-34ページ
梅沢馨「プラトンに見る両性平等論」
    京華女子高『梅の香り』第17号、1981年3月、95-100ページ
岡部勉「プラトン『国家』──「知」と「不知」」
    熊本大『文学部論叢』第18号、1986年5月、1-29ページ
乙訓稔「プラトンの「洞窟の比喩」の考察──M. ハイデガーの解釈を手掛かりとして」
    『カリタス女子短大研究紀要』第16号、1982年1月、26-36ページ
金沢勝夫「永遠への志向としてのパイデイア──プラトン『国家』第7巻を中心として」
    『白百合女子大学研究紀要』第17号、1981年、63-84ページ
金山弥平「プラトンに於ける認識とその対象──思わくと「線分の比喩」に於けるディアノイアについて」
    『古代哲学研究』第13号、1981年、1-12ページ
久々津邦男「ディアレクティケーによる上昇について──『国家』VI-VII」
    『札幌商科大学論集 人文』第24号、1979年、185-196ページ
小林信行「洞窟の座標──プラトン『国家』における善と正義と快」
    九州大『哲学年報』第38輯、1979年3月、167-187ページ
塩出彰「プラトン:『国家』における哲学知と行為について」
    『九州工業大学研究報告 人文・社会』第23号、1975年、17-39ページ
塩出彰「哲人王と哲学者の定義について──『国家』V. 475e-480a」
    『西洋古典学研究』第28号、1980年、13-23ページ
新海邦治「線分の比喩と尺度としての善」
    『日本女子大学文学部紀要』第27号、1977年、57-65ページ
鈴木孝「一にして多──プラトン『国家』の「善のイデア」から把え返したイデア論の世界観」
    法政大『哲学年誌』第19号、1987年、1-23ページ
瀬口昌久「第一の大浪──プラトン『国家』と女性」
    『古代哲学研究』第27号、1995年、1-9ページ
相楽勉「見ることとアレーテイア──「洞窟の比喩」解釈に見るハイデガーの真理観」
    東洋大『白山哲学』第23号、1989年、149-164ページ
高橋憲雄「「哲学者王制」にまつわる認識論的問題について」
    『古代哲学研究』第22号、1990年、14-22ページ
武宮諦「知識と実在──『ポリティア』(476d-480a)を中心に」
    『山口大学文学会志』第26号、1975年、85-102ページ
仲川章「プラトンの数学観──『ポリテイア』の射程」
    『西洋古典学研究』第40号、1992年、57-67ページ
朴一功「「太陽」「線分」「洞窟」の比喩再考」
    『古代哲学研究』第15号、1983年、22-34ページ
浜崎盛康「プラトンの『国家』におけるディアレクティケーと善のイデアの認識」
    『早稲田大学文学研究科紀要 哲学・史学』別冊第10集、1983年、9-17ページ
浜崎盛康「ノエーシスと論理的認識──プラトンの『国家』、線分の比喩」
    琉球大『哲学論集』第13号、1992年、53-75ページ
フランシスコ・ペレス「洞窟の比喩とその意味」
    上智大『哲学科紀要』第15号、1989年、1-50ページ
丸橋裕「プラトン『国家』第V巻における「知識/ドクサ」論をめぐって」
    『関西哲学会紀要』第22冊、1987年、52-57ページ
水崎博明「3本の指(上)──プラトン『国家』第7巻521c-526cの問題」
    『福岡大学総合研究所報』第127号、1990年6月、1-21ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、199-236ページ
水崎博明「3本の指(中)──プラトン『国家』第7巻521c-526cの問題」
    『福岡大学人文論叢』第22巻第4号、1991年3月、1167-1210ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、237-277ページ
水崎博明「3本の指(下)──プラトン『国家』第7巻521c-526cの問題」
    『福岡大学人文論叢』第23巻第1号、1991年8月、321-353ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、279-308ページ
水崎博明「3本の指(補)──プラトン『国家』526c-535aの問題」
    『福岡大学人文論叢』第23巻第2号、1991年10月、593-636ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、309-347ページ
山本千洋「プラトン『国家』における3つの比喩をめぐって」
    『佐賀大学教養部研究紀要』第23巻、1991年、23-37ページ
C. D. C. リーブ(浅野幸治訳)「体育場に裸の老女──プラトン『国家』篇のフェミニズムをめぐる対話」
    神戸大『愛知』第11号、1994年、75-87ページ
渡部明「ハイデガーとプラトン──2つの「洞窟の比喩」解釈から」
    九州大『哲学年報』第53輯、1994年3月、25-42ページ

(pc) 『国家』篇第8巻〜第10巻
伊東斌「快楽と真偽──プラトン『国家』第9巻」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第25巻第1部、1976年、1-15ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、89-115ページ
小川隆雄「『国家』X巻を中心として見たプラトンの文芸論について」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第3号I、1980年12月、19-40ページ
荻野弘之「詩人の場所──『国家』第10巻の「詩人追放論」(1)」
    『東京女子大学論集』第39巻第2号、1989年3月、1-20ページ
角田幸彦「プラトン『国家』における快楽論」
    『明治大学教養論集』第141号、1980年12月、1-27ページ
加藤好光「ミメシスの4つの意味契機──『国家』におけるプラトンの詩人批判に寄せて」
    『東京大学美学芸術学研究室紀要』第12号、1993年、75-105ページ
鎌田雅年「ミーメーシスの諸相──Resp. X巻595a、 autes hose mimetikeを巡って」
    『古代哲学研究』第16号、1984年、28-38ページ
北野雅弘「「3段の模倣」説の検討」
    大阪大『フィロカリア』第2号、1985年、23-40ページ
桑原直己「プラトンの人間論──『国家』篇第8・9巻について」
    『中部哲学会会報』第18号、1986年、21-29ページ
小林信行「ミメーシスと行為──プラトン『国家篇』の場合」
    九州大『哲学論文集』第13輯、1977年、19-34ページ
瀬口昌久「詩人の帰還──プラトン『国家』に於ける3段階模倣説と線分の比喩」
    『関西哲学会紀要』第25冊、1990年、17-23ページ
仲川章「『国家』に於けるミーメーシス」
    『古代哲学研究』第14号、1982年、16-22ページ
成田育男「『国家』602cの解釈をめぐって」
    『青森明の星短大季報』第6号、1976年12月、19-31ページ
山川偉也「イデアと同一性をめぐる対話(1)──Platon、 Rep. 597c1-d3を端緒に」
    『桃山学院大学人文科学研究』第12巻第2号、1977年3月、45-88ページ
山川偉也「イデアと同一性をめぐる対話(2)──Platon、 Rep. 597c1-d3を端緒に」
    『桃山学院大学人文科学研究』第15巻第1号、1979年7月、51-81ページ
山川偉也「イデアと同一性をめぐる対話(3上)」
    『桃山学院大学人文科学研究』第22巻第1号、1986年7月、49-83ページ
山川偉也「イデアと同一性をめぐる対話(3下)」
    『桃山学院大学人文科学研究』第22巻第2号、1986年12月、25-60ページ

(q) 『クラテュロス』
伊東斌「ヘルモゲネス説批判──『クラチュロス』研究1」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第37巻第1部、1987年、1-16ページ
伊東斌「名前の正しさについて──『クラチュロス』研究2」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第38巻第1部、1988年、1-10ページ
伊東斌「クラチュロス説批判──プラトン『クラチュロス』研究3」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第39巻第1部、1990年1月、1-14ページ
大月実「プラトンの言語理論──クラテュロスをめぐって」
    言語研究学会『言語の世界』第5巻第2号、1987年12月、9-18ページ
角田幸彦「プラトン『クラテュロス』における名前とイデア──名前による認識と名前によらない認識」
    『明治大学教養論集』第144号、1981年1月、1-23ページ
金子佳司「『クラテュロス』におけるプラトンの意図」
    明治学院大『言語文化』第6号、1989年、102-110ページ
神崎繁「或る前提──『クラテュロス』における「正しさ」orthotesという思考の帰趨」
    『西洋古典学研究』第32号、1984年、41-53ページ
上林昌太郎「流動と静止──『クラテュロス』研究」
    『新潟短期大学社会科学論集』第21号、1983年12月、1-31ページ
桑子敏雄「『クラテュロス』の問題・名と信念」
    『哲学雑誌』第98巻第770号、1983年、24-41ページ
佐藤三千雄「『クラテュロス』におけるロゴス」
    『竜谷大学論集』第413号、1978年10月、44-60ページ
高橋憲雄「名前の正しさを廻って──『クラテュロス』の争点とその哲学的意義」
    『西洋古典学研究』第35号 、1987年、58-68ページ
田中利光「『クラテュロス』の1解釈」
    『西洋古典学研究』第40号 、1992年、1-11ページ
田中利光「「名前の正しさ」に関するクラテュロス説」
    科学研究費報告『古典期アテナイ文化の総合的把握──哲学と文学、及びその歴史的背景』
    1994年、47-60ページ
戸塚七郎「名の真について──『クラテュロス』385b-d」
    東京都立大『人文学報』第161号 、1983年3月、47-81ページ
仲川章「『クラテュロス』覚書──オノマ論考」
    『古代哲学研究』第18号、1986年、24-34ページ
中澤務「プラトンの『クラテュロス』における「名前の正しさ」」
    『哲学』第44号、1994年4月、166-175ページ
中畑正志「語・意味・対象──『クラテュロス』におけるプラトンの言語哲学」
    『哲学研究』第47巻第9冊第551号 、1985年3月、73-116ページ
藤沢郁夫「『クラチュロス』における名の形相」
    北海道大『哲学』第11号、1975年、57-72ページ
吉崎道夫「<クラテュロス>に見られる芸術の記号性の根拠をめぐって」
    『日本大学芸術学部紀要』第18号、1988年、117-125ページ

(r) 『パルメニデス』
岡崎文明「プラトンの『パルメニデス』篇における「第1の仮定」」
    滋賀大『彦根論叢』第287-288号、1994年1月、57-77ページ
坂本知宏「イデアの範囲について──『パルメニデス』130b1-e4」
    神戸大『愛知』第9号、1992年、(15)-(26)ページ
山川偉也「G. Vlastosと第三人間論──The First Regress Argument in PRM. 132a1-b2 1969、
    in Platonic Studies、 1973の批判」
    『桃山学院大学人文科学研究』第11巻第1号、1975年12月、1-42ページ
山下弘一郎「『パルメニデス』篇第2部第2演繹冒頭部の1解釈──或る混在」
    東京都立大『哲学誌』第27号、1985年、77-99ページ

(s) 『テアイテトス』
尼ヶ崎徳一「哲学者の生き方──『テアイテトス』172c-177b」
    『金沢大学教育学部紀要 人文・社会』第37号、1988年2月、1-9ページ
天野正幸「知と思い做し──Theaetetus 187e-200dの解釈の試み」
    『山形大学紀要 人文』第9巻第4号、1981年1月、381-410ページ
今井知正「『テアイテトス』研究覚書」
    『理想』第570号、1980年11月、63-70ページ
今井知正「『テアイテトス』研究(1)」
    『千葉大学人文研究』第13号、1984年、25-69ページ
今井知正「「プロタゴラス説の自己反駁」再論」
    『理想』第632号、1986年1月、50-61ページ
今井知正「『テアイテトス』第2部の問題」
    『千葉大学人文研究』第16号、1987年、7-23ページ
大内和正「プロタゴラス説の自己論駁性──プラトン『テアイテトス』169-171」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第5号、1995年12月、15-22ページ
岡部勉「表現の類比(2)──見ることについて(プラトン『テアイテトス』184b-186e)」
    熊本大『文学部論叢』第6号、1981年11月、63-95ページ
奥田和夫「「共通なもの」からウゥシアーへ──プラトン『テアイテトス』(184-186)の予備的考察」
    法政大『哲学年誌』第24号、1992年、145-164ページ
奥田和夫「プラトン『テアイテトス』第1部における知識論──「最後の反駁」におけるウゥシアーの
    理解をめざして」、『西洋古典学研究』第43号、1995年、53-63ページ
角田幸彦「プラトン『テアイテトス』研究(1)──プロタゴラス説の吟味について 179cまで」
    『明治大学教養論集』第114号、1978年2月、19-42ページ
加藤守通「プロタゴラスの教育思想」
    『東北大学教育学部研究年報』第43集、1995年、1-14ページ
川上さつき「『テアイテトス』184b4-187a8に於ける「思い(doxa)」の位置」
    東京都立大『哲学誌』第30号、1988年、37-55ページ
川上さつき「「鳥小屋モデル」における知の問題──『テアイテトス』195b9-199d8解釈試論」
    東京都立大『哲学誌』第31号、1989年、1-21ページ
北島美雪「『テアイテトス』184b-186eをめぐって」
    『西洋古典学研究』第24号、1976年、32-42ページ
国嶋貴美子「感覚と知識──プラトン『テアイテトス』研究」
    大谷大『哲学論集』第40号、1993年、76-82ページ
国嶋貴美子「知識論の検討──プラトン『テアイテトス』の感覚説批判」
    『大谷大学大学院研究紀要』第11号、1994年、23-40ページ
桑子敏雄「「知る」ということ──『テアイテトス』における「ロゴス」の役目について」
    南山大『アカデミア 人文自然・保健体育』第35号、1982年2月、230-221ページ
小池澄夫「洞窟の正午──『テアイテトス』の出発点と針路」
    『古代哲学研究』第19号、1987年、1-13ページ
高橋久一郎「「知識」とは何でないか──『テアイテトス』の視点から」
    東京大哲学研究室『論集』第3号、1985年、51-64ページ
高橋憲雄「知識と真なる判断──プラトン『テアイテトス』187a-201c」
    『関西哲学会紀要』第18冊、1983年、18-23ページ
田坂さつき「「知識の定義」の破綻について──プラトン『テアイテトス』208c6-210b3の1解釈」
    神奈川大『人文研究』第121集、1994年10月、91-117ページ
田坂さつき「アポリアの解明──『テアイテトス』208c6-210b3における「対象認識の構図」」
    『倫理学年報』第44集、1995年、19-34ページ
田中邦夫「「ソクラテスの夢」とイデア論──プラトンにおけるイデアとロゴス(2)」
    『鹿児島大学法文学部紀要 文学科』第10号、1975年3月、49-67ページ
田畑博敏「プラトン『テアイテトス』147c-148bのdunamisをめぐるある覚え書」
    『古代哲学研究』第10号、1978年、33-42ページ
長尾史郎「プラトーン『テアイテートス』の分析」
    『明治大学経営学部人文科学論集』第35輯、1988年3月、33-48ページ
長尾史郎「部分と全体──プラトン『テアイテトス』の分析」
    『明治大学教養論集』第205号、1988年3月、53-74ページ
中澤務「プラトン『テアイテトス』第2部における虚偽不可能論」
    『北海道大学文学部紀要』第42巻第2号、1994年1月、49-72ページ
中西裕一「プラトン『テアイテトス』におけるプロタゴラス説の意味について──J. MacDowellの解釈
    を手がかりに」明治学院大『言語文化』第3号、1985年、12-20ページ
中西裕一「プラトン『テアイテトス』におけるプロタゴラスと「人間尺度説」について──論理学的観点から」
    『日本大学生産工学部研究報告B文系』第24巻第1号、1991年6月、1-9ページ
中畑正志「プラトン『テアイテトス』における偽なるドクサ」
    『関西哲学会紀要』第20冊、1985年、57-63ページ
M. F. バーニェット(加藤信朗・神崎繁訳)「プラトンにおける知覚の文法」
    『思想』第694号、1982年4月、75-112ページ
藤沢郁夫「プラトンにおける経験知の問題──『テアイテトス』における感覚の分析」
    北海道大『哲学』第17号、1980年、1-19ページ
藤沢令夫「「状況」の変化と「もの自身」の変化──プラトン『テアイテトス』(154b-155d)に
    おける背丈比べのパラドクスの哲学的意味」
    『哲学研究』第47巻第8冊第551号 、1984年10月、33-94ページ
フランシスコ・ペレス「人間は万物の尺度か──「人間尺度」についての再検討」
    上智大『哲学科紀要』第2号、1976年、1-21ページ
真方忠道「感覚と知識の間──テアイテトスへの1考察」
    『哲学雑誌』第92巻第764号、1977年、62-82ページ
真方忠道「もう一つの知」
    『アルケー・関西哲学会年報』第2号、1994年、155-166ページ
松永雄二「「こころ」あるいは「人間の生のかたち」──プラトン『テアイテトス』、『ピレボス』の
    ための1考察」、九州大『哲学論文集』第15輯、1979年、1-22ページ
水崎博明「プラトンの方法──『テアイテトス』143d-151eの語るもの」
    九州大『哲学論文集』第11輯、1975年、19-38ページ
山口義久「ソクラテスの「夢」とイデア──『テアイテトス』201d-206bの解釈」
    『古代哲学研究』第8号、1976年、1-9ページ
吉田昌市「『テアイテトス』の知識論」
    『古代哲学研究』第11号、1979年、1-8ページ
吉田昌市「『テアイテトス」
    『ソピステス』における虚偽の問題」
『徳島大学教養部紀要 人文社会』第14巻、1979年、151-161ページ
米沢茂「「ソクラテスの夢」と制作技術知」
    『古代哲学研究』第9号、1977年、21-32ページ
米沢茂「プラトン『テアイテトス』の感覚的知覚説──ガスリー説の批判を通じて」
    『北九州大学外国語学部紀要』第50号、1983年10月、159-169ページ
渡辺邦夫「偽なるドクサの問題について──『テアイテトス』研究I」
    『理想』第620号、1985年1月、254-266ページ
渡辺邦夫「知識論の所在──『テアイテトス』研究 II」
    『理想』第621号、1985年2月、222-232ページ

(t) 『ソピステス』
浅野楢英「言表(ロゴス)についてのイデア論による解釈──プラトン『ソピステス』(251a-259e)
    を中心として」、『理想』第570号、1980年11月、45-62ページ
浅野楢英「プラトン『ソピステス』における偽なる言表と否定について」
    『古代哲学研究』第15号、1983年、1-10ページ
天野正幸「『ソフィステース』における認識論」
    『哲学』第26号、1976年5月、95-106ページ
伊東斌「分割ということ──『ソピステス』を中心に」
    九州大『哲学論文集』第17輯、1981年、35-51ページ
今井知正「『ソフィスト』の「ある」「あらぬ」──桑子敏雄氏への反論」
    『理想』第546号、1978年11月、119-130ページ
今林万里子「sumploke ton eidonに関する一考察──『ソピステス』251-259」
    『西洋古典学研究』第25号、1977年、54-64ページ
牛田徳子「『ソピステス』254-259における有・非有の問題」
    『慶応義塾大学言語文化研究所紀要』第11号、1979年12月、177-194ページ
大内和正「虚偽の言明と現われ──プラトン『ソピステス』263再考」
    『古代哲学研究』第25号、1993年、35-43ページ
大久保正雄「存在をめぐる論争──Plato Sophista 245e6-251a7」
    『東京法科学院論集』第2号、1988年12月、47-61ページ
岡部勉「表現の類比(1)──プラトンに於ける「他」をめぐって(『ソピステース』259d-264b)」
    熊本大『文学部論叢』第2号、1980年7月、1-37ページ
小川隆雄「プラトン『ソピステス』におけるディアレクティケーについて」
    『島根大学法文学部紀要 文学科』第2号、1979年、21-70ページ
小川倪「諸々の形相の網(シュムプロケー・トーン・エイドーン)──プラトン『ソピステス』におけ
    る構造論的思惟」、『理想』第636号、1987年10月、22-37ページ
角谷博「魂の醜さとしての無知・魂の浄化としての哲学──プラトン『ソピステス』226b-231b」
    『関西哲学会紀要』第23冊、1988年、28-34ページ
小池澄夫「脱喩化の途──『パルメニデス』(132c12-133a7)から『ソピステス』の虚偽論へ」
    『西洋古典学研究』第33号、1985年、29-39ページ
斉藤俊之「「あらぬもの」のエイドスについての1考察」
    学習院大『哲学会誌』第11号、1987年、21-39ページ
鈴木孝「『ソピステス』におけるto me on einai(あらぬものがある)の証明について」
    『法政大学大学院紀要』第17号、1986年、1-8ページ
鈴木孝「logos批判と反批判──『ソピステス』におけるto me on einai証明の1つの読み方」
    『法政大学大学院紀要』第18号、1987年、1-12ページ
瀬口昌久「存在と力──プラトン『ソピステス』における知と実在のパラドクス」
    『西洋古典学研究』第42号、1994年、25-35ページ
武宮諦「虚偽の問題(1)──プラトン『ソピステース』研究」
    『山口大学文学会志』第33号、1982年12月、35-52ページ
田坂さつき「虚偽の問題──『ソフィステス』263b4-13の1解釈」
    神奈川大『人文研究』第116集、1993年4月、59-80ページ
中川純男「エイドスと言葉──プラトン『ソピステス』から」
    『古代哲学研究』第9号、1977年、33-44ページ
花井一典「<あらぬもの>の起源──『ソピステース』255e8-257a6」
    『哲学雑誌』第100巻第772号、1985年、186-210ページ
細川亮一「『存在と時間』から『ソピステス』へ」
    九州大『哲学年報』第52輯、1993年3月、145-180ページ
水崎博明「トリウィアーリア(1)──プラトン『ソフィステース』221a6-221b2」
    『福岡大学人文論叢』第20巻第3号、1988年12月、979-1017ページ
    水崎『哲学・その古代的なるもの』、351-385ページ
水崎博明「パラデイグマ素描──プラトン『ソピステス』篇における対話の展開の中で」
    森・中畑編『プラトン的探究』、1993年、101-122ページ
山田道夫「『ソピステス』におけるイデアの結合関係について」
    『古代哲学研究』第12号、1980年、1-11ページ
我妻和博「『ソピステス』篇における有と非有の問題──「あらぬものがある」をめぐって」
    東北大『思索』第12号、1979年、20-38ページ

(u) 『ポリティコス』
加来彰俊「いくつかの疑念──加藤信朗氏への質問」
    『哲学』第42号、1992年4月、76-79ページ
加藤信朗「『ポリティコス』篇における「雛形(paradeigma)」の論法について」
    『哲学』第42号、1992年4月、55-75ページ
鎌田邦宏「プラトン『ポリティコス』における測定術」
    『古代哲学研究』第10号、1978年、22-32ページ
国方栄二「プラトン『政治家』におけるミュートス」
    『西洋古典学研究』第38号、1990年、40-50ページ

(v) 『ピレボス』
尼ヶ崎徳一「『ピレボス』篇における一と多の問題」
    『金沢大学教育学部紀要 人文・社会』第33号、1984年2月、15-20ページ
伊東斌「『ピレボス』における一と多──ペラスとアペイロン(1)」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第29巻第1部、1979年、1-13ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、167-190ページ
伊東斌「神々からの賜物──『ピレボス』における「方法」」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第30巻第1部、1980年、1-7ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、191-204ページ
伊東斌「4つの類──プラトン『ピレボス』における存在論」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第40巻第1部、1990年、1-14ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、205-236ページ
伊東斌「善、思慮、快楽──プラトン『ピレボス』31b-67b」
    『山口大学哲学研究』第1巻、1992年、29-62ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、237-276ページ
荻原理「想像されることで現在する快──プラトン『ピレボス』37a1-41a7解釈」
    東京大哲学研究室『論集』第12号、1993年、176-187ページ
荻原理「善き生と善──プラトン『ピレボス』篇20b3-23a5」
    『哲学』第46号、1995年10月、1-10ページ
奥田和夫「コスモスとヌース──プラトン『ピレボス』の最善の生をめぐって」
    『法政大学大学院紀要』第11号、1983年10月、13-22ページ
小野木芳伸「「一と多」と「方法」──『ピレボス』14c-18d」
    東京都立大『哲学誌』第33号、1991年、105-124ページ
小野木芳伸「存在への生成──プラトン『ピレボス』23c-27c」
    東京都立大『哲学誌』第35号、1993年、85-99ページ
加藤信朗「『ピレボス』篇における道徳性の観念」
    『聖心女子大学論叢』第83集、1994年9月、6-33ページ
角谷博「『ピレボス』における予想的快楽について」
    『古代哲学研究』第26号、1994年、30-38ページ
鎌田邦宏「「無限」と「限」──『ピレボス』23c-27c」
    『姫路工業大学研究報告B』第35号、1985年、1-13ページ
篠崎栄「「善さ」について──『ピレーボス』における快楽説反駁の背景」
    『哲学』第27号、1977年5月、91-103ページ、篠崎『ことばの中での探求』、216-237ページ
高橋憲雄「知性主義対快楽主義──プラトン『ピレボス』の場合」
    『理想』第617号、1984年10月、433-444ページ
新島龍美「「いつわりの快」について──プラトン『ピレボス』研究序説」
    九州大『哲学論文集』第21輯、1985年、43-64ページ
新島龍美「hedone(快楽)からphronesis(思慮)へ──『ピレボス』断章」
    九州大『哲学年報』第45輯、1986年2月、113-148ページ
藤沢郁夫「認識と情、再論──プラトンの『ピレボス』における所論に即して」
    『上越教育大学研究紀要』第7巻第2分冊、1988年、121-134ページ
山田道夫「『ピレボス』の快楽規定について」
    京都西洋哲学史研究会『西洋哲学史研究』第2号、1981年2月、23-31ページ
山田道夫「最も厳密な学としての哲学──『ピレボス』55c-59c」
    『西洋古典学研究』第34号、1986年、48-58ページ

(w) 『ティマイオス』
尼ヶ崎徳一「『ティマイオス』における「必然」と「説得」──目的論的自然観の構想」
    『金沢大学教育学部紀要 人文・社会』第30号、1981年9月、17-23ページ
尼ヶ崎徳一「『ティマイオス』における「魂の病い」について」
    『金沢大学教育学部紀要 人文・社会』第31号、1982年2月、23-28ページ
伊東斌「『ティマイオス』における「善」と「快」」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第28巻第1部、1978年、1-13ページ
    伊東『プラトン快楽論の研究』、143-165ページ
角田幸彦「プラトン・『ティマイオス』篇における宇宙生成以前について──場所と必然性をめぐって」
    『明治大学教養論集』第90号、1975年1月、1-22ページ
角田幸彦「プラトン『ティマイオス』における場choraについて──特に48e-52dを中心に」
    『明治大学教養論集』第154号、1982年2月、1-25ページ
角田幸彦「プラトン『ティマイオス』における病気と健康の理論について」
    『明治大学教養論集』第162号、1983年2月、1-21ページ
川島清吉「プラトンの『ティマイオス』における「ゲネシス」と数理の説」
    『大阪薫英女子短大研究報告』第15号、1980年、1-12ページ
川田殖「プラトンにおける善と世界秩序──『ピレボス』『ティマイオス』『法律』を中心に」
    大阪医科大『人文研究』第10号、1979年、98-173ページ
種山恭子「『ティマイオス』のdemiourgos像再考──特に『エンネアデス』II. 9におけるプロティノ
    スとの対比で」、『古代哲学研究』第17号、1985年、1-16ページ
国方栄二「「永遠の動く似像」の意味するもの──プラトン『ティマイオス』における時間論から」
    『古代哲学研究』第15号、1983年、11-21ページ
国方英二「『ティマイオス』における無秩序な動について」
    京都大『古代哲学研究室紀要』第3号、1993年12月、15-30ページ
杉本良子「天体運動論としてのプラトンの宇宙論──『ティマイオス』の1考察」
    『ノートルダム清心女子短大論叢』第5号、1979年、65-85ページ
瀬口昌久「物・空間・場──プラトン『ティマイオス』における「場」の理論」
    『名古屋工業大学紀要』第47巻、1995年、25-32ページ
土屋睦広「プラトンにおける悪と物体の問題──『ティマイオス』の宇宙生成論をめぐって」
    『倫理学年報』第40集、1991年、19-34ページ
土屋睦広「プラトン『ティマイオス』における「似たもの同士」原理について」
    『西洋古典研究会論集』第2号、1992年、29-43ページ
中西裕一「ハイゼンベルクのプラトン像──『ティマイオス』を中心として」
    日本大『ACADEMEIA』第1号、1980年3月、9-22ページ
中西裕一「プラトンの『ティマイオス』と近代物理学的世界観」
    『エーゲ海学会誌』第4号、1990年4月、15-24ページ
原正幸「プラトンの『ティマイオス』とハルモニア」
    『東京大学教養学部人文科学科紀要』第65輯(哲学21)1976年、149-180ページ
矢内光一「プラトンの『ティマイオス』における宇宙と人間の関連構造」
    『横浜国立大学人文紀要 哲学社会』第29輯、1983年、49-65ページ
山口誠一「ヘーゲルの元素論について──『ティーマイオス』篇32a-b解釈の検討」
    『法政大学教養部紀要』第78号、1991年2月、19-32ページ

(x) 『法律』
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの『法律』(1)」
    大阪府立大『人文学論集』第2集、1984年、53-61ページ
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの『法律』(2)」
    大阪府立大『人文学論集』第3集、1985年、65-85ページ
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの『法律』(3)」
    大阪府立大『人文学論集』第4集、1986年、49-61ページ
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの『法律』(4)」
    大阪府立大『人文学論集』第6集、1988年、81-92ページ
W. イェーガー(山野耕治訳)「プラトンの『法律』(5・完)」
    大阪府立大『人文学論集』第9-10集、1991年、169-193ページ
池田美恵「マグネシアの国(1)」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第2号、1976年、19-38ページ
池田美恵「プラトンの法理論──マグネシアの国(2)」
    『筑波大学哲学思想学系論集』第5号、1979年、23-41ページ
磯部隆「プラトンの『法律』における思想と行動(1)」
    『名古屋大学法政論集』第116号、1987年8月、1-66ページ
伊東斌「教育と快楽──プラトン『法律』第1巻-第2巻」
    『山口大学教育学部研究論叢 人文・社会』第45巻第1部、1995年、1-16ページ
岸見一郎「通俗的な徳──『法律』における」
    『古代哲学研究』第15号、1983年、35-42ページ
岸見一郎「プラトン『法律』における刑罰の哲学的基礎付け──Lg. 859c-864bの解釈」
    『古代哲学研究』第18号、1986年、35-46ページ
岸見一郎「プラトンのエロース論──『法律』第8巻835b-842bにおける」
    『古代哲学研究』第23号、1991年、33-41ページ
斉藤俊之「プラトンの刑罰観に関する1考察」
    『西洋古典研究会論集』第3号、1993年、37-46ページ
高橋幸一「Platonの『法律』における体操術」
    『山形大学紀要 教育』第7巻第4号、1981年1月、17-34ページ
武宮諦「不正行為と損害行為──『法律』9巻の1考察」
    『山口大学文学会志』第27号、1976年、39-58ページ
筒井明子「勇気の徳と節制の徳の内的連関について──『法律』1巻を中心に」
    九州大『ディアロゴス』第6号、1993年、3-14ページ
長野順子「プラトン『法律』篇におけるムーシケーと快」
    科学研究費報告『ポイエーシスの同一性と差異性』、1988年、102-115ページ
半田勝彦「『法律』におけるプラトンの刑罰論」
    『法政大学大学院紀要』第34号、1995年、1-16ページ
丸野稔「プラトンのダイモーンについて──『政治家』と『法律』におけるクロノス神話のばあい」
    早稲田大『フィロソフィア』第70号、1982年、43-67ページ
丸橋裕「愛、知性及び自由(正)──ゲオルグ・ピヒトとともにプラトンの対話篇『法律』を読む」
    『理想』第654号、1994年12月、124-134ページ
森進一「立法の教育性──Socratesの命題に戻って」
    『西洋古典学研究』第28号、1980年、1-12ページ
森泰一「犯罪の原因──プラトン『法律』第9巻をめぐって」
    『西洋古典学研究』第39号、1991年、48-59ページ
森村進「プラトン『法律(ノモイ)』への覚書」
    一橋大『法学研究』第21号、1990年、337-361ページ
矢内光一「自然、偶然、技術──プラトン『法律』第10巻における「知者たち」の説について」
    『横浜国立大学人文紀要 哲学社会』第37輯、1991年10月、93-102ページ

(y) 『書簡』『ヒッパルコス』
河井真「プラトン研究7──プラトン『ヒッパルコス』註解3補説」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第37号、1975年3月、1-10ページ
河井真「プラトン研究8──プラトン『ヒッパルコス』註解4」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第40号、1976年10月、1-13ページ
河井真「プラトン研究9──プラトン『ヒッパルコス』註解5」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第41号、1977年3月、1-5ページ
河井真「プラトン研究10──プラトン『ヒッパルコス』註解6補説」
    『宮崎大学教育学部紀要 社会』第42号、1977年10月、1-8ページ
新海邦治「『第7書簡』の知識論について」
    『日本女子大学文学部紀要』第29号、1979年、33-41ページ

(終わり)


浅野幸治のホームページにもどる