第4回環バルト海研究会現地調査概略

今回現地調査の目的

第4回現地調査目的地はキエフ(ウクライナ語キーフ)とチェルニゴフ(同チェルニヒヴ)、後者の郊外シェストヴィツァである。これらの地域は直接にはバルト海に接していないが、9〜11世紀にはドニエプルをはじめとするロシアの大水系によってバルト海沿岸諸地方とカスピ海・黒海方面は結ばれていたのである。バルト海からビザンツ帝国およびオリエントへのルートには、ドニエプルを通ってコンスタンチノープルへ到る道のほかに、ヴォルガによってカスピ海に到る道があり(この大湖の北岸にハザール帝国のイティルがあった)、そこからはバグダッドに通じていた。

今回の調査目的は、ドニエプル(ウクライナ語ドニプロ)中流の要地キエフの立地・環境を体験すること、スカンディナヴィア出身の戦士的支配層の墓地遺跡と、多くの北欧型遺物の出土している、シェストヴィツァ遺跡を見学すること、ルーシ/ウクライナの都市的定住地最初期の様相について現地研究者と交流することであった。

以下、人名はウクライナ語で、地名は日本の慣用にしたがってロシア語で表記する。

日程

2004年7月25日(日)

成田発、同日イスタンブール着(トランジット)。

7月26日(月)

イスタンブール発、キエフ着。オレクシイ・コマル博士(ウクライナ国立科学アカデミー考古学研究所、古ルーシおよび中世考古学部門研究員)にお会いし、翌日訪れるチェルニゴフとシェストヴィツァの考古学的予備レクチャーを受ける。

27日(火) チェルニゴフ、シェストヴィツァ

オレクシイ、夫人のナターリヤさん(ポドル考古学センターの考古学者。シェストヴィツァ発掘に直接かかわる)と地下鉄のプラットフォームに待ち合わせ、乗合タクシーでチェルニゴフへ。キエフから2時間ほど。徒歩でチェルニゴフ市内の歴史的建造物(パラスケヴァ・ピャトニツァ教会、デチネツ、救世主変容大聖堂、ボリス・グレブ大聖堂)を見学、歴史博物館とチェルニゴフ大学歴史学部を訪問。その後ワゴンを借りて市内のエレツキー修道院、遺跡チョルナヤ・モギラとボルジヌィ丘をめぐったあと、シェストヴィツァへ。発掘隊長であり、ウクライナ歴史・考古学委員会議長であるヴォロジミル・コワレンコ博士(チェルニゴフ国立教育大学助教授)から遺跡の概要を聞く。コマル夫妻の案内で、墓地を中心に発掘現場と遺跡の視察。キエフへ遅く、疲労と空腹を抱えて帰着。

28日(水) ペチェルスキー修道院、黄金の門

(前日はオレクシイの格闘技向きの頑健な体力を前提にした、丸一日かける日程、昼食抜きと、延々たるお茶の接待──オレクシイはウクレイニアン・ホスピタリティとよんで笑っていた。コワレンコ助教授は現地のテントに一泊していけと勧めてくれたが、たぶん本気だった──等々は文化の問題としてたいへん興味深かったが、昼の暑さ、日没後の寒さ、等々が重なり疲労困憊、風邪を引くものもでた。2日目のこの日はもともと人と会う予定を避けて休息日に取っておいたのであるが、そうしておいて助かった。)

ペチェルスキー修道院(ウクライナ語キエヴォ・ペチェルシカ大修道院)、黄金の門、ボフダン・フメリニツキー広場を現地案内人なしに歩き回る。今村氏が十分よいガイドを勤めてくれた。ペチェルスキー修道院は、たいへん興味深く、長い時間を取った。

29日(木) ポドル

キエフ、とくにポドル(塞外平民居住区)の初期定住史について講義と現地見学。

午前中オレクシイの勤務する考古学研究所を訪ね、博士の所属部門の部屋にて、キエフの最古の定住史に関するレクチャーを受ける。外へ出て歴史博物館見学。アンドレイ坂を下り、ポドルへ。ピロゴシチャヤ教会、ポドルの発掘現場を経てポドル考古学センター訪問。館長のミハイロ・サハイダク博士から等高線を強く意識した見取図とドニエプル沿岸断面図など、豊富な地図・統計図版資料を駆使したポドル発掘史と定住発展過程の概要を聞く。(きわめて興味深い研究であったが、研究方法上の特色である地図・図版類のコピーをもらえなかったのが無念。)

30日(金) 民族建築と生活博物館、ソフィア大聖堂、ドニエプル川遊航

休息を兼ねて、案内なしの見学。聖ソフィアはすばらしかった。2年前にノヴゴロドのソフィア大聖堂を訪ねたとき以来の宿題であったヤロスラフ侯妃(スウェーデン王女)のフレスコ画は、すでに失われて、現存しないとのことであった。「伝ヤロスラフ賢公息女」(ノルウェーのハーラル苛烈王妃)の壁画をみたが、学説は変わっていた(写真キャプション参照)。日が落ちてからドニエプル・クルーズを楽しむ。川の両岸で地形は非常に異なっている。キエフ側は斜面が険しく、東岸(左岸)は平坦である。増水のとき左岸は水没したに違いない。右岸でも、通常は増水時にも水の上に出る部分、つまり高い地域に人が住んだ、と実感できる。

31日(土) キエフ市内

オレクシイの案内と解説で、自然史博物館の考古学部門(考古学研究所直属)を見学。ウラジーミル教会とキリロフスカヤ教会へ。後者はまちの北にあり、12世紀のフレスコ画が残る。ふるい地域が計画性なしに変貌を遂げつつある。午後オレクシイの案内で本の市場探訪。ウクライナではきちんとした書店では歴史・考古学の本は新刊しか探せないとのこと。本のマーケットは面白かったが、ウクライナ語、ロシア語を読めない者用の本はなかった。今村氏のみ購入。熊野はアイスランド・サガのロシア語訳2巻本にだいぶ迷ったが結局買わなかった。夕方、キエフ大学留学中の民俗学徒片岡浩史氏(大阪外国語大学大学院)と食事をともにしつつ交流。

8月1日(日)

キエフの休日。目抜き通りクレシチャーチク通りを歩く。バザールを思わせるベッサラプスキー市場探訪。バーゲニングを体験。オレクシイ夫妻と晩餐。

8月2日(月)

朝、ホテル発。再び経由地のイスタンブールへ。

参加者一覧(あいうえお順)

※所属は現地調査当時。


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